もしも池上彰さんが憲法の前文を「超訳」したら

社会

■憲法は悪文か

 日本国憲法を改正せよという改憲論者が挙げるその理由は様々である。「米国に押し付けられたものだから」「時代に適合していないから」等々。また、「文章がおかしい」という指摘もある。石原慎太郎氏は、政界引退会見で、憲法の前文についてこんなコメントをしている。

「あの醜い前文ひとつを見ても、間違いが非常に多い」

 石原氏によれば、助詞の使い方ひとつとっても間違いがたくさんあるという。

「例えば『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して』という部分だが、人にお金を貸すとき、『あなたに信頼してお金を貸します』とは言わない。やっぱり『信義を信頼』だ」

 つまり「に」と「を」を間違っている、というのである。たしかに言われてみれば「信義に信頼」というのはおかしい。 

 では前文の内容はさておいて、日本語を修正して、文意をわかりやすくしたらどうなるのか。それを示してくれるのが、池上彰さんの「超訳版」だ。池上さんは、新著『超訳 日本国憲法』で、憲法の中のわかりにくい条文を「現代語訳」している。

■池上超訳の「前文」とは

 では、前文の原文と池上超訳文を比べてみよう。

【原文】
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」

【池上超訳】
「日本の国民は、正当な手続きによる選挙で国会議員を選ぶ。この国会議員が、国民の代表として仕事をする。憲法を制定し、法律や予算を作る。
 我々は、我々自身と子孫のために、外国と協力し、自由をしっかり守ることによって、国内の繁栄を図る。政府によって再び悲惨な戦争が起きることのないように我々は決意する。国家の主人は国民であることを宣言して、この憲法を作った。
 国の政治は、国民によって任されたものであり、国家権力は国民の代表が行使し、その結果の福利厚生は国民が受け取る。これは人類みんなにとっての当然の原理である。この憲法は、この考え方によって生まれた。これに反する憲法や法律、天皇の命令は無効である。
 日本国民は平和を念願している。人類にとっての理想を信じる。平和を愛する世界の人々を信頼して、我々の安全と生存を確保することにした。国際社会は平和を愛し、独裁政治や奴隷状態、差別をなくそうと努力している。日本は、その一員として、名誉ある地位を占めたい。全世界の国民は、恐怖や貧困から脱出して、平和に生きる権利を持っている。
 どこの国も、自分のことばかり考えて、他国を無視してはいけない。自国の主権を維持し、他国と対等の関係に立ちたければ、世界のどこでも通用するルールを守らなければならない。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げて理想の実現に向けて努力することを誓う」

 さすがに池上さんの手が加わっただけあって、助詞の間違いはなくなり、スッキリと頭に入るようになっている。

 もっとも、評価の分かれる中身については、「訳者」の池上さんも、「『平和を愛する世界の人々を信頼して、我々の安全と生存を確保する』ということが可能かどうか。日本の周辺を見渡すと、とてもむずかしいと思ってしまいます」と感想を述べている。

デイリー新潮編集部