「これが陸自3佐か、情けない……」防衛省が嘆いたチュニジアテロ被害女性の臆病と感傷

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 日本人は「弱者」に優しい。だが、それと「これ」とは、また別の話である。チュニジアでテロに巻き込まれた邦人女性が、打ちひしがれた様子の手記を公表。同情が広がる一方、防衛省からは嘆きの声が上がっている。なにしろ彼女は現役の幹部自衛官なのだ。

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「徳川四天王」と謳(うた)われた名将、本多忠勝はこんな言葉を残している。

〈武士はなるほど武士くさく、味噌はなるほど味噌くさくあれかしとぞ思ふ〉(『本多平八郎聞書』より)

 忠勝に言わせれば、彼女は「戦う者」の風上にもおけない存在ということになるのかもしれない――。

 武士は食わねど高楊枝。侍たる者、腹が減ろうが、どこぞが痛もうが、平気の平左を気取り、気高く振る舞うものであろう。しかし、「現代のサムライ」である陸上自衛官の結城法子(のりこ)氏(35)の手記に目を通すと、テロ被害に遭ったことに対する同情の念を抱くよりも、日本の「女戦士」はこの程度だったのかと、情けなさが漂ってくるのを否定できないのであった。

 3月18日、アフリカ大陸の北端に位置するチュニジアの首都・チュニスで発生したテロ事件。死傷者は約70人に達し、邦人も死者3人を含む6人が巻き込まれたが、その中の1人が結城氏だった。休暇を利用しての母親との観光旅行中に銃撃された彼女は、左耳などに怪我を負い、現地の病院に搬送されて全身麻酔での手術を受ける事態となった。

 結城氏が、不幸にもテロに遭遇して入院を余儀なくされた、紛う方なき被害者であることは言うまでもない。だが、しかしである。彼女は被害者であると同時に、ただの民間人ではないこともまた事実だ。防衛省担当記者が解説するには、

「結城さんは自衛隊中央病院に勤める陸上自衛隊の3等陸佐で、隊員の健康管理などにあたる医官です。近々、自衛隊を去るつもりだったとの情報もありますが、3佐は旧日本軍の少佐に相当し、約200人の部隊を指揮するほどの職責を担っている。彼女は防衛医大を卒業後、医師としての臨床研修とともに部隊などでの勤務も経た幹部自衛官で、有事の際は海外に派遣される可能性もあります」

 陸上幕僚監部広報室も、

「医官といえども陸上自衛官ですから、自衛隊員としての最低限の訓練は受けております」

 と、認めるように、やはり結城氏は立派な我が国の「防人(さきもり)」の1人なのである。

 こうした背景を踏まえた上で、3月21日、彼女が現地日本大使館を通じて公表した2554字に及ぶ手記を紹介する。

〈日本の皆さまには多大なるご迷惑、ご心配をおかけしていることと思います。申し訳ありません〉

 このような「殊勝」な書き出しに続けて、

〈今はとても人前に出られる状態ではありませんので、文章で失礼させていただきます〉

 ここまでは、ひとまず「良し」として問題はあるまい。繰り返すまでもなく、結城氏はテロ事件の純然たる被害者であり、その心身の苦痛は察してあまりある。そんな状況にも拘(かかわ)らず、手記の冒頭を、兎(と)も角(かく)にも「お詫び」から始めた精神の構えは、大和撫子らしいものと言えよう。

 だが、手記はここから「雲行き」が怪しくなっていく。彼女はテロに遭った感想をこう綴るのだ。

〈まさか発砲されるとは思いませんでした〉

〈とても現実のこととは思えませんでした〉

〈生きた心地がしませんでした〉

 それはそうだろう。テロ犯に襲撃されるとは、いくらイスラム国の脅威が増しているとはいえ、「普通」の日本人には想像し難い。しかし彼女は、いつ「戦地」に派遣されるか分からず、常に危険に神経を尖らせていなければならない陸自の一員なのである。あまりに暢気に過ぎはしないか。

 手記はさらに「情緒的」なトーンを強めていく。

〈外でも、救急室でも、多くの人がいて写真やビデオを向けられ、とても不快でした〉

〈私は一日中泣いていたせいで目が腫れ上がって開けることができず……〉

■〈覚えていません〉!?

 ここには「被害者としての思い」が前面に押し出されているものの、他方で「何か」が決定的に欠けているとの違和感が拭い去れない。それは手記が徹頭徹尾「私」に終始しており、陸自3佐という「公の立場での思い」が、見事なまでにすっぽり抜けている点に起因する。

 挙句、朝日新聞の記者が、病棟の結城氏に取材しようとしたことを指して、

〈部屋の前で「取材をさせてください。あなた(大使館員)に断る権利はない」と日本語で怒鳴っている(朝日記者の)声が聞こえ、ショックでした〉

 私人の感情としては分からなくもないが、公人、とりわけ日本の安全保障を担う幹部自衛官の言葉としてはいかがなものか。記者の声如きにショックを受ける陸自の3佐が、「戦地」で銃声や砲声を耳にしたら、一体どうなってしまうのだろうか。

 しかも、手法の是非はともかく、メディアが被害者の生の声を聞こうとするのはごく自然な行為であり、彼女が矛先を向けるべきは朝日ではなく、テロリストであるはずだ。しかしながら、手記にはテロの犯人を非難する記述は1行たりとも見当たらない……。

「〈一日中泣いていた〉だとか、海外の軍の関係者が彼女の手記を読んだら、『これが日本の将校なのか』と呆れ、『自衛隊はかなり緩い組織だな』と認識することでしょう。それ以前に、『彼女はまともな大人なのか、まともな社会人なのか』との疑問を持つかもしれず、子どもがそのまま防衛組織で働いていると思われてしまうのではないでしょうか」

 と、手厳しいのは元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏である。彼がとりわけ問題視するのは、結城氏の手記の次の件(くだり)だ。

〈(病室に)NHKやニューヨーク・タイムズを名乗る人々も来て質問に答えるように言われました。そうしなくてはならないのだ、と思い答えましたが、何を話したのか正直なところ覚えていません〉

 佐藤氏が続ける。

「機密に携わる可能性がある幹部自衛官が、何を言ったか記憶がないということは、自分の発言に責任を持てていないことになります。国の安全保障を預かる自衛官が、極めて常識的な危機管理すら出来ていないと指弾されても仕方ない」

 確かに、メディアの取材に対してさえ〈何を話したのか覚えていない〉のであれば、万が一、国防に携わる彼女がテロリストに拘束されたら何を喋らされていたのかを想像すると、ゾッとするのは防衛省関係者だけではあるまい。

■「メリットは何一つない」

 このように、国防の前線に立つ自衛官の自覚を感じるのが難しい結城氏。そんな彼女を「象徴」するのが、

「結城3佐は、海外渡航承認申請書を提出しておりませんでした」(陸幕広報室)

 という点だ。自衛官には、私的休暇であっても日本を離れる際には、事前に届け出を行わなければならない義務が課されている。要は、彼女は「無断渡航」だったわけだ。

「防衛省の幹部も、結城さんが被害者の1人との情報が流れた直後に、『おいおい、勘弁してくれよという話になっている』と嘆いていました」(前出記者)

 実際、過去には、無断海外渡航で減給等の処分を受けた自衛官が存在する。ゆえに、結城氏はそうした「負い目」もあって、朝日やNHKといった自分の存在を晒すメディアを脅威に感じたのかもしれないが、

「残念ながら、無断渡航している時点で、自衛官の心構えに欠けていると言わざるを得ません」

 と、元陸自北部方面総監の大越兼行氏は叱咤する。

「私が北部方面総監だった時に、部下から中近東に行きたいとの申請があったものの、許可しなかったことがあります。もしその自衛官が、意図的かどうかはともかく過激派などと接触したら大問題になるとの判断からでした。外国に自衛官が足を踏み入れるにあたっては、それくらいの危機意識と覚悟を持つべきなんです」

 こう指摘する大越氏は、彼女の手記の看過できない箇所として、こんな記述を挙げる。

〈病院へ着くと、パスポートなどが入ったバッグはとられて、携帯もなくなってしまいました〉

〈日本大使館の方がいらして、日本の家族の連絡先を聞かれましたが、携帯がなかったので実家の固定電話しか分からず、なかなか連絡がつかなかったようです〉

 大越氏が愕然とする。

「家族との連絡よりも何よりも、真っ先に防衛省に連絡を入れて、自分が置かれた状況を報告し、何をすべきか指示を仰ぐことが自衛官には求められるはずです。それもせずに、手記を公表する……。彼女の一件が、自衛隊に対する国民の期待を裏切ることにつながりはしないかと危惧しています」

 付言するならば、時あたかも自民・公明の与党間で、安保法制の基本方針が3月20日に正式合意に至ったばかり。これから国会での議論に移ろうとしている矢先の「自衛官騒動」である。集団的自衛権行使の憲法解釈を巡り、野党勢力が自衛隊批判を展開しようと「臨戦態勢」に入っている状況なのだ。これには、防衛大学校名誉教授の佐瀬昌盛氏も、

「野党の平和ボケ議員に、結城3佐の件を千載一遇の好機と捉えて、『自衛隊は大丈夫なのか』と防衛省を責める口実を与えてしまったかもしれません」

 と、臍(ほぞ)を噛むし、軍事ジャーナリストの世良光弘氏もこう懸念する。

「今後、自衛隊員が血を流す事態も想定されるなか、負傷した同僚を救護すべき医官がこの体たらくではと、『自衛隊不信』が広がらないといいのですが……」

 最後に、京都大学名誉教授の中西輝政氏が警鐘を鳴らす。

「『戦士』が弱さを示すことにメリットは何一つない。これから自衛隊は後方支援などで海外における活躍がますます求められていくわけですが、『弱いところから叩け』は軍事の基本。結城3佐が弱さを露呈し、自衛隊全体もそういったイメージを持たれることで、ひ弱い自衛隊のいるところこそ狙い目と、海外の軍隊になめられかねません」

 冒頭の忠勝の言葉を借りれば、武士は武士らしく、味噌は味噌らしく。しかし、武士らしからぬ「結城現役自衛官」は「臆病と感傷」を覗かせてしまった――。その結果、何が起きたのか。少なくとも20万の人員を誇る自衛隊の力量について、屈強、精鋭、プロフェッショナルといったイメージが崩れ去ってミソがつき、代わりに、内実も伴わないのに法律ばかりを先行させることへの不安と懸念が、広く国民に共有されたに違いないのだ。

週刊新潮 2015年4月2日号掲載