「イスラム国」事件 現地対策本部「中山泰秀」外務副大臣は何をしていたのか

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 人質事件発生後、この人の顔をニュースで目にしない日はなかった。ヨルダンの現地対策本部で指揮を執った中山泰秀外務副大臣(44)。これで彼の知名度は高まったに違いないが、はて、中山氏は中東の地で一体何をしていたのだろうか。

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「後藤さん救出の努力をしっかりと続けていく」

 連日、報道陣に囲まれ、中山氏は幾度となくコメントを発してきた。こうした発言の数は膨大なものとなるが、「ご安心」あれ。彼のフェイスブックを見れば、その多くが網羅されているので、中山氏の「活躍」ぶりを振り返るのは容易(たやす)い。現地で取材したジャーナリストが解説するには、

「中山さんは対策本部のある大使館に詰めっぱなしで、そこから車で5分ほどのホテルにはシャワーを浴びて着替えるためだけに帰り、大使館にとんぼ返りするなど、寝る間も惜(お)しんで働いていたと思います。一方で彼は、今回の大役を自己PRの機会と考えていたはずです。その証拠がフェイスブックで、自分が取材を受けている様子が映ったニュース画像や新聞記事を、忙しかったわりには頻繁にアップしています」

 事実、大阪選出議員である彼のフェイスブックは「外務副大臣 中山泰秀のアイラブ大阪」と名付けられているが、「アイラブミー」のほうが相応(ふさわ)しいのではないかと思えるほど、その中身は「俺、頑張ってるでしょ」感に溢れている。無論、いくら自己宣伝に傾注しようが、きっちりと仕事さえすれば問題はない。だが、

「後藤さん殺害の映像が公開される前の1月31日早朝(日本時間)、中山さんは『事態は膠着状態になっている』と発言。交渉が続き、どんな動きが起きるか分からない最中に、前線のトップが膠着、つまり進展がないと、悲観的とも言える態度をとってしまったわけです。これを知った岸田(文雄)外相は、不快感を示していました」(政治部デスク)

 この他の彼の仕事ぶりは、

「ヨルダン側と直接接触していたのは主に大使館員をはじめとする事務方で、中山さんは情報を集約する役割でした。ある大使館スタッフは、外務副大臣という肩書きの政治家が現地の対策本部に常駐してくれただけでも、ヨルダン側に日本の真剣さを伝えられて助かったと言っていましたが……」(前出のジャーナリスト)

 単なる「お飾り」ではなかったと願いたい。

「特集 日本に宣戦布告! 『イスラム国』狂気の残響」より

週刊新潮 2015年2月12日号掲載

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