「なぜ大トリ?」「K-POPのイベントではないのか」…Ado、韓国の人気音楽番組に出演で批判が噴出するワケ

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

認識のズレが一気に表面化

 だからこそ、Adoが最後に登場した瞬間、それまで潜在していた認識のズレが一気に表面化した。観客の側からすれば、「K-POPのイベントにAdoも出演する」と思っていたものが、「K-POPアーティストが多数出演するイベントを最後にAdoが締めくくる」という構図に変わったように見えた。

 さらに、2日目には初日にあった出演者によるフィナーレが行われず、Adoのステ-ジを最後に公演が終了したことも、この印象を強めた。Adoの出演時には双眼鏡の使用を控えるよう求める案内が出るなど、彼女独自のライブスタイルに合わせた対応もあった。それらが重なった結果、「イベント全体がAdo仕様になった」というふうに受け止める人が出てくることになった。

 Adoという存在が、その摩擦をさらに大きくした面もある。彼女は素顔を前面に出さず、独自の演出やルールを維持することで、ほかの歌手とは明確に違う世界観を作り上げてきた。その徹底した自己演出こそがAdoの特徴であり、国内外で人気を獲得した理由の1つでもある。

 しかし、その「ほかの誰とも同じようには扱えない」という特殊性は、出演者が横並びであることが重要な合同イベントでは、ネガティブな形で受け止められる可能性がある。

 近年、K-POPは韓国国内の音楽ジャンルという枠を超え、世界規模の巨大な文化圏になっている。日本でもK-POPアーティストとJ-POPアーティストが同じ番組やステ-ジに立つことは珍しくなくなった。一方で、ジャンルの境界が薄くなればなるほど、「このイベントは誰のためのものなのか」という設計はむしろ重要になる。

 今回は、結果として最も目立つ場所にいたAdoが批判の矢面に立つことになってしまった。だが、本来問われるべきなのは彼女の出演そのものではない。この公演がどの文化圏の観客に向けて、何を見せるために作られたのか。そこが曖昧になっていたことが、今回の騒動を生んだ最大の要因だったのではないか。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。