【特別読物】「救うこと、救われること」(18) 落合陽一さん
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大阪・関西万博のシグネチャーパビリオンnull²(ヌルヌル)が大人気を博した落合陽一さん。研究者、メディアアーティスト、経営者の三つの顔を持ち、「計算機自然」という新しい自然観を掲げて、世界から大いなる注目を集めています。
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8歳の時に、親にねだってコンピュータを買ってもらいました。誰かに教わったのではなく、遊びの中で覚えたのです。いま思えばあれは、計算機という新しい自然に、幼くして棲みついたということなのだと思います。
特別な英才教育を受けたわけではありません。ただ、画面の向こうに世界の仕組みが透けて見える感覚があって、面白くて仕方がなかった。得意かどうかを考えるより先に、夢中になっていました。
大学時代に自分の才能に目覚める
筑波大学在学中に、IPA(情報処理推進機構)がITの才能を発掘・育成する国家事業「未踏」に採択され、国際学会で論文を発表するようになりました。自分はどうやらこの分野が得意らしいと初めて自覚したのは、この時のことです。メディアアートと出会ったのも、ちょうど同じ頃でした。
20代の半ばからは、世界的なメディアが私の作品を取り上げてくれるようになります。初個展の開催地はクアラルンプール。超音波で物体を宙に浮かせ、フェムト秒レーザーで空中に触れられる光を描く。論文も作品も、発表の場はまず海外でした。
30 歳を目前にJST(科学技術振興機構)のプロジェクトに採択されたことも、大きな転機でした。40〜50代の研究者が中心の事業に、20代で選ばれたのですから。同じ時期に准教授に昇任し、起業した会社は大きな資金調達に成功し、子供も生まれた。ここからは日本に根を張ってローカルなことをやろう、と決めました。2017年のことです。
大阪・関西万博のプロデューサーになったのは2020年です。その時にはもう、null²(ヌルヌル)はデジタルネイチャー(計算機自然)を体感できるメディアアートのパビリオンにする、と決めていました。
3足のわらじで24時間稼働
現在、私は研究者・大学教員であると同時に、メディアアーティストであり、会社の経営者でもあります。それぞれに秘書がいて予定を管理し、生活はほぼ24時間稼働です。朝7時半の国家プロジェクトの会議に始まり、日中は大学の授業と2027年国際園芸博覧会の定例会、夕方は研究室のゼミ、夜10時からは学生のオフィスアワー、深夜に原稿と作品データの制作。この夏は鹿児島での展示の設営にも通い詰めました。三つの仕事は別々に見えて、実はひとつの探求の三つの面なのです。
小学5年生の頃から28年間、自分で時間割を作って生きてきました。時間割とは、いわば自分自身に書き込むプログラムです。計算機を設計するように一日を設計し、その通りに動いていく。窮屈に聞こえるかもしれませんが、逆なんです。あらかじめ決めてあるからこそ、思考のすべてを目の前の探求に注ぎ込める。24時間稼働の生活を支えているのは、この小さな、計算機的な習慣なのです。
メディアアーティストとしては、計算機自然の神社や仏像を作っています。京都・醍醐寺ではオブジェクト指向菩薩に真言密教の開眼法要をしていただき、2024年には飛驒高山に計算機自然神社を創建して、自ら禰宜として神事を執り行いました。神々の起源が自然崇拝にあるのなら、計算機の時代の自然崇拝とは何か。その問いの実践です。円空の12万体の仏像に宿る祈りと、計算機が生成した仏像の祈りに、優劣はつけ難い。今夏は霧島アートの森で「天孫帰るってよ?」展を開催中です(9月23日まで)。
万博で話題になったnullの系譜は、その後も続いています。今年、横浜ランドマークタワー内に常設シアターnull²ⁿ(ヌルヌルネクサス)がオープンし、2027年国際園芸博覧会では新作null⁴(テトラヌル)を公開する予定です。
デジタルネイチャーという新しい自然
デジタルネイチャーとは、計算機と自然と人間の関係をめぐる話です。60年ほど前、コンピュータはコマンドを打ち込んで操作するCLI(コマンド・ライン・インターフェイス)
でした。やがてマウスやタッチパネルで動かすGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)が現れます。その究極が、いま誰もが便利に使っているスマホのマルチタッチです。この歴史は、計算機が人間と自然に近づいてくる歴史でもありました。
その先に来るのが、計算機と自然と人間の境界が溶け合う、新しい自然観の時代――私の言うデジタルネイチャーです。かつて人類は森の中で、木の枝を折って杖にしました。自然から取り出された道具は、やがて機械になり、コンピュータになった。そしていま、AIやセンサーと網の目のように繫がった道具たちは、再びひとつの「森」を形作りはじめています。道具が自然の一部であった時代から、道具そのものが自然になる時代へ。人間は、計算機でできた狩猟採集の森に、もう一度還っていくのです。
その新しい森で、人は何に祈るのでしょうか。祈りは物質を動かしませんが、静かに人の内側を更新し、行動を変えていきます。計算と質量の間に、祈りがある。そして探求すべきものは無限に残されている――。その無限に開かれていることが、私にとっての救いです。
■提供:真如苑






