【特別読物】「救うこと、救われること」(17) 角田光代さん

ライフ PR

  • ブックマーク

『対岸の彼女』で直木賞を受賞し、『八日目の蝉』『方舟を燃やす』などの話題作を書き続けてきた角田光代さんは、2024年「連載を止める」宣言をしました。『源氏物語』の全訳を経て、小説に向かう姿勢、自分自身の小説観に大きな変化があったのだそうです。

 ***

 2024年に「連載を止める」宣言をしたのですが、今年刊行された『明日、あたらしい歌をうたう』は、実はそれより前に書き上げていたものなんです。大ファンだった忌野清志郎さんをイメージして書いたのですが、そのままになっていました。水鈴社さんが出版したいと言ってくださって、刊行出来たんです。

 今回は、たまたまだれに見せる予定もなく書きはじめたので、制約もなく自由に書けたのが新鮮でした。その後、水鈴社さんにお渡しして、編集者とやりとりしながら小説として整えていきました。

 読者からも今までにないストレートな感想や、RCサクセションや他のバンドに対する熱い思いが届いて、とても驚いています。

小説の中の人物の声を聞く

 これまで30年近くずっと連載小説を書いてきました。取材して、ストーリー、プロットを綿密に作って、うんうん唸って苦しみながら書き続けてきたんです。ところが、5年間『源氏物語』の現代語訳に取り組んでいたら、なぜか今までのやり方が上手くいかなくなりました。小説の中の人間が生きて、立って、しゃべっている物語を書きたいと思うようになってきたんです。きっと『源氏物語』の声を聞き過ぎたんでしょうね。訳すというのは聞くという作業ですし、『源氏物語』は声のある物語ですから。

 ただ、登場人物にしゃべらせるには罠もあって、私の願望をしゃべらせてはいけない、人物の声をちゃんと見極めないといけない、そこは気をつけないと、と思いました。登場人物がどんどんしゃべってくれて、それによって物語も進んでいくという、いわゆる憑依型の作家では、私はないんです。

 また、コロナ禍の時期に韓国ドラマを沢山観たことで、韓国ドラマのエンターテインメント性を立たせる必須条件に、主人公の周りの人物がいかに魅力的に描かれているか、ということがあるとわかったんです。『愛の不時着』などまさにその典型で、主人公二人よりもさらに、周りの人達がすごくチャーミングです。私自身、『明日、あたらしい歌をうたう』では、主人公の少年より周りの子達の方が好きで、これは韓国ドラマの影響だなと、後で気付きました。

猫のおかげで世界が広がる

 いま、我が家には16歳になる猫のトトがいますが、トトは私が初めて飼った猫なんです。西原理恵子さんからいただきました。初対面の時に「猫いる?」と言われて。

 実は、ちょうどその前年に、人間不信に陥るほどの大きなできごとがあったんです。もう立ちなおったと思っていたんですが、そのときの西原さんには、まだ私が精神的に危うく見えたんですね。そこを救おうと仔猫をくださったのです。

 猫のおかげで本当に人生が変わりました。それまで自分だけの世界で生きていたのが、猫が来て自分以外の世界が大きく広がりました。その自分以外の世界に一匹の猫だけでなく、全世界の猫が入ってきたのです。震災のニュースも、戦争のニュースも、本当に辛い。猫が寒くないか、暑くないか、飼い主たちの家族は大丈夫か、と思うんです。いまやそっちの世界の比重が大きくなって、猫は私の目を開かせる使者だったのではないかと思うほどです。

旅に癒やされ聖地を巡る

 家では猫に癒やされていますが、コロナ後の2023年から20年ぶりに海外での一人旅を再開しました。その後は毎年行かれるようになって、一番の楽しみを取り戻しました。さすがに宿は中級以上にしたので貧乏旅行ではありませんが、帰りの飛行機だけ決めて、旅程も宿も決めない気ままな旅です。

 ただ、この20年間で世の中が変わってしまい、宿を訪ねていっても「ネット予約の方が安いですよ」と言われて結局スマホで予約したりして、IT化についていくのが大変です。それでも気の向くまま、足の向くまま町を見て歩き、その町で飲み食いするという点は変わりません。

 3年前に行ったクロアチアでは、町の食堂で食べたロールキャベツのような食べ物がすごく美味しかった。一昨年はウズベキスタンに、昨年はジョージアに行きました。どちらも人がとても優しい国でした。

 ウズベキスタンは、羊料理が素晴らしかった。私は羊が好きなので、串焼きあり、煮込みありの羊天国を堪能しました。ジョージアは、ワイン発祥の地だそうで、赤ワイン、白ワイン、オレンジワイン、それぞれ美味しかったです。しかもジョージアはとても猫フレンドリーで、通りがかりの人が、そこにいる街角の猫に餌をあげるんです。

 さらに私は聖地マニアで、必ずその土地の宗教施設に行きます。クロアチアはカトリックの教会、ジョージアはジョージア正教会、ウズベキスタンはモスクです。ウズベキスタンのサマルカンドには非常に美しいイスラム建築が沢山あります。何かを熱心に信ずる人たちの国って、根本のところが優しいというか、旅でそういう人々に接すると温かい気持ちになって、ああ楽しかったと思えるんです。念願の一人旅が再開できて、新しい土地や人々との出会いに心から救われています。

■提供:真如苑

角田光代
1967年、神奈川県生まれ。1990年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、21年『源氏物語』(全3巻)訳で読売文学賞、25年『方舟を燃やす』で吉川英治文学賞。『神さまショッピング』など著書多数。

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。