「高市首相」支持で“巨大グループ”結成も…「国力研究会」を無力化させた「元首相」と「次期首相候補」による“抱きつき戦略”の舞台裏
「あまり高市色を出すな」
林のバックには、旧宏池会の元会長で、なお影響力を残す元幹事長・古賀誠の存在が見え隠れする。麻生と古賀は地元福岡でも長年の対立関係がある。だから林は発起人から外されたのではないか。そのような見方が強かった。
麻生周辺に確認すると、「林を入れるなと麻生が言ったとか、全くそんなことはない。誰かが勝手に言っていることだ」と全面否定した。
麻生は発起人として名前を載せることには同意したが、研究会にそんなに深く関わっていないし、あまり関心もないという。麻生が周囲にそう話していると、別の自民党関係者からも聞いた。
5月の連休明け、国力研設立をめぐる情報が広まり、「どうせ麻生の勢力拡大の動きだろう」(旧安倍派中堅)との見方が党内には強まっていた。麻生はそれを打ち消したかったのではないか。
国力研の事務局長を務める山田に聞くと、麻生からは「あまり高市色を出すな」という指示があったという。高市グループをつくるのではなく、「なるべく広く、参加しやすいようにすべきだ」というアドバイスだったそうだ。
発起人に林が入らなかったのは、参院枠を重視して党参院議員会長の松山政司に発起人をお願いしたからだという説明だった。
「国力研潰し」の秘策
松山は林の側近でもあり、旧宏池会の林も松山も発起人となると、「全体のバランスが悪い」という。
松山が発起人に入ったことに関しては、26年度予算の年度内成立を事実上阻止して、高市との関係をぎくしゃくさせた党参院幹事長・石井準一をけん制する意味合いがあったのではないか。党内にはこのような見方も根強く残っている。
発起人に呼ばれなかったとはいえ、林は5月早々に国力研への入会届を提出した。その隠された狙いは「国力研潰し」とみられ、党内では「抱きつき戦略」とも称されている。
「党内主流派」づくりという国力研の思惑を林自らが参加することによって、潰してしまおうというものだ。政局的に見れば、林は国力研を無力化したとも言える。
当初この議連は、自民党議員に「踏み絵」を踏ませるものではないかという疑心暗鬼を生んだ。「親高市」か「反高市」か。「高市グループ」(事実上の高市派)に入るか否か。
だが、そのような政治的思惑は、元首相・岸田文雄や林ら旧宏池会出身議員が参加することによって、意味がなくなってしまった。有名無実となったわけだ。
「抱きつき戦略」の成功
もともと保守系議員が集まり、憲法改正や安保政策、皇室の問題、対中政策などの重要問題を掘り下げ、高市をバックアップしようという狙いもあったようだが、どちらかというとリベラル系の旧岸田派議員が参加することによって、保守色は薄まることになる。
「ポスト高市」の有力候補で、親中派とみられる林が入会すれば、政局的にはほとんど無意味なものになる。
官房長官・木原稔は元首相・安倍晋三を支えた保守系議員グループ「創生『日本』」に近い議連の設立をイメージしていたようだが、それとも懸け離れた議連となった。
実は「抱きつき戦略」を敢行した政治家は林芳正だけではない。麻生との確執が伝えられる元総務相も国力研に入会することで有名無実化を狙った。
だが、国力研を巡る目論見が失敗に終わったとしても、党内で麻生が発揮した存在感はやはり圧倒的なものがあったようだ。
第2回【「国力研究会」に自民議員の8割が参加…御年85歳にして影響力を増す「麻生太郎」副総裁の“存在感が際立ったシーン”とは】では、その国力研で麻生が駐日アメリカ大使との“蜜月”を見せつけた決定的場面について詳しくお伝えする──。
註1:1973年4月7日放送分(ビデオリサーチ調べ、関東地区)
註2:JiBはJapan is Backの略




