「数千万円の遺産を3年で使い果たし…」 万引きで逮捕後も反省の色が見られない「坂口杏里」 転落のきっかけは人気女優だった母親の急逝だった

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「転がり込んだ先で万引きとは……」

 22年から昨年にかけては、2度の結婚と離婚を経験した。

「同時期に精神のバランスを崩し、処方薬を多用するようになったそうです。彼女が言うには“SNSであることないこと言われ、人が信用できなくなったストレス”だったのだとか」(前出のデスク)

 そこに、救いの手が差し伸べられた。新宿二丁目のゲイバーだ。

「オーナーの裁量で、ママとしての接客と店のSNSへの“出演”で、寝泊まりする場所と給料をもらえるようになりました。にもかかわらず、従業員との関係がうまくいかずにトラブルとなり、半年も持たずに辞めてしまった。挙げ句、無一文同然で転がり込んだ先で万引きとは、言葉もありません」(同)

娘に仕事を残そうと、無理を押して契約を更新

 トラブル続きの杏里だが、転落のきっかけとなったのは、2013年に母の良子さんが57歳の若さで急逝したこと。愛娘の行く末を最後まで案じていた母の死を機に彼女の生活は乱れていった。

 生前、良子さんは長女の杏里に「私の名前をどんどん使いなさい」と助言していたという。親の七光りをわが子に授けようとしていたのかもしれないが、過剰な助け舟は子供から自立心を奪ってしまったのか。

 良子さんがミス・セブンティーンに選ばれて芸能界に入ったのは1971年、15歳のときだった。翌年、ドラマ「アイちゃんが行く!」で主演に抜てきされると、アイドル女優として人気が沸騰し、「池中玄太80キロ」(1980年)では大人のかわいさを振りまいた。

 そんな彼女が“地上げの神様”と呼ぶ人もあった19歳年上の田山恒彦氏と結婚したのは86年。89年に長男、91年に杏里を授かるが、94年に離婚している。

 97年ごろからは、プロゴルファーの尾崎健夫(たてお)氏と交際するようになった。良子さんが尾崎氏と結婚したのは、結腸がんで亡くなる半年前の2012年8月。15年間も入籍しなかったのは、杏里が反対していたからだという。良子さんはそれほど杏里のことを大事にしており、08年にデビューした杏里が芸能界に残れるかどうかも心配で、慣れないバラエティー番組で積極的に母娘共演を引き受けていたのだという。

 そんな努力が実を結んだか、杏里は一時、“おバカキャラ”でバラエティー番組の常連になったが、それでも13年3月に亡くなるまで、母は娘に「助け舟」を出し続けた。良子さんと杏里が母娘でイメージキャラクターを務めていた化粧品会社の幹部は、

「亡くなる5日前、坂口さんは尾崎さんと一緒に契約の更新に来られました。体調が悪そうで、エスカレーターを降りると車椅子で帰られた。報道で亡くなられたと知って驚きました」

 と述懐。娘に仕事を残そうと、無理を押して契約を更新したのだ。だが、杏里は徐々に身を持ち崩す。

「母親が亡くなった直後、杏里は親しい知人に“ママが遺してくれた数千万円は使わないで取っておく”と話していました。その知人は今年の7月、久々に連絡を受けて“10万円貸してくれない?”と言われたそうです。遺産は3年で使い果たしたみたいです」(芸能事務所関係者)

デイリー新潮編集部

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