なぜ原宿は再び「アイドルの聖地」になったのか ジャニーズもハロプロも去った後に起きていた「静かな革命」
独自のカルチャーが自生する街
裏原といえばストリートファッションのメッカで、原宿に慣れたティーンがちょっと背伸びして行きたくなる場所。曲数としては多くはないものの、当時の若者が原宿に抱く憧れをしっかり歌に投影していた。
この原宿に、ジャニーズと同じくハロプロのオフィシャルショップ、通称ハロショもあった。2000年に開業し、地方に支店ができても「本店」の位置づけは変わらず、首都圏のハロプロファンなら一度は訪れたことはある場所だった。
アイドルファンの回遊が定着する一方で、1990年代後半から原宿は「タレントショップの街」より「独自のカルチャーが自生する街」のカラーを濃くしていく。
契機となったのは、雑誌『FRUiTS』や『Zipper』といったストリートスナップメディアの台頭だ。路上を歩く若者自身がファッションの主役になり、後に「原宿系」と呼ばれる確固たるアイデンティティを確立した。雑誌からは読者モデルが台頭し、新たなアイコン層を生み出すことになる。実はこの「読モブーム」から始まったのがアソビシステムだった。
2007年に誕生したアソビシステムは当初、読モのマネジメントや、ファッションと音楽を融合させたイベントの運営を主軸としていた。その中で高校生の頃から『KERA』や『Zipper』の人気モデルとして活動していたきゃりーぱみゅぱみゅが、アソビシステム主催のイベントへの出演を機に同社と深く関わるようになる。
代表の中川悠介がきゃりーと中田ヤスタカを引き合わせたことで、一人の読者モデルから世界的なポップアイコンへと昇華した。
それだけでなく、原宿ゆかりのグループとしては「神宿」(2014~2024年)、もとは「天晴れ!原宿」というグループ名だったAppare!などがアソビシステム所属グループの以前からあった。彼女たちの衣装には赤、ピンク、緑、ミント、青などをビビッドに用いているのが顕著で、これは原宿系ギャルたちの色彩感覚とも共鳴する。
アイドル運営を主戦場としていたわけではなく、あくまで原宿の街に集う若者の感性をビジネスへと繋げていたアソビシステムであるが、その軸はブレずに2020年代からは、アイドルカルチャーをリードせんとしているわけだ。こうした前世紀からの原宿における若者文化の蓄積がなければ、令和のアイドルシーンは全く違う様相になっていただろう。
オンライン販売が当たり前になった今、実店舗を持つメリットは薄い。前述のハロショは2010年に渋谷店に統合される形で閉店し、その後秋葉原に移転するも昨年閉店。ジャニショも21年に原宿の店舗を閉店し渋谷に移転し、現在はファミクラストアとなっている。それでも、彼らとは違う文脈――すなわち原宿系から生まれたアイドルたちのおかげで、今でもアイドルファンと縁が深いのが原宿だ。
アイドルが由来する場所はほかにも、秋葉原・乃木坂・六本木・麻布(櫻坂46の由来になったさくら坂などが所在)、あるいは中野や渋谷もある。東京という都市には、それぞれのアイドル像に応じた複数の「聖地」が地層のように重なり合い、共存している。
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