本塁打が投ゴロに…“ミスタープロ野球”長嶋茂雄が生んだ「伝説の珍プレー」の数々

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敬遠するにも工夫が要る人

 次は敬遠への“抗議”とも言えるパフォーマンスだ。

 1968年5月11日の中日戦。0対0の9回2死二塁。4番・長嶋に打席が回る。

 一塁が空いているため中日バッテリーは敬遠を選択。2ボールになると、長嶋はバットを放り投げた。素手で打つ構えを見せ、スタンドは大爆笑に包まれた。“武装解除”した長嶋に対し、バッテリーがどう対応するか注目が集まる。しかし中日は動じず、そのまま四球で歩かせた。

 71年6月17日の広島戦でも同様の行動を見せる。7回2死三塁。3球続けて外されると、再びバットを放り投げた。「バットなんか持っていてもしょうがない」そう語りつつ、「ストライクが来たらすぐ拾って打つ」とも明言している。

 72年7月1日の大洋戦でも同じ光景が見られた。1点リードの9回1死一、三塁。再び敬遠を受ける場面だ。「“よし一発!”と思ったけどね」試合後、そう語りながら「歩かされて当然」と冷静に振り返っている。一連の行動は、ファンへのサービス精神とも言えるだろう。

 当時の大洋捕手・伊藤勲は後年こう語っている。「とんでもないウエストボールでも平気で打ってしまう人ですから、バットを持っていない方が安心でした(笑)。普通の人より半歩足を外に踏み出して外さないと危険でしたから、敬遠するにも工夫が要る人でしたね」

 実際、長嶋は60年7月16日の大洋戦で、6回2死二塁から顔の高さの敬遠球に飛びつき、左翼線にタイムリー二塁打を放っている。まさに予測不能な打者だった。

 打者とバッテリーのかけひきが凝縮された“4球のドラマ”。申告敬遠が導入された現在では、もう見ることはできない。”天然の閃き“とも言うべきプレーで球場を沸かせ続けた長嶋茂雄という存在は、時代の空気ごと、今も語り継がれている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘! 激突! 東都大学野球』(ビジネス社)

デイリー新潮編集部

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