ミセスのライブ問題が「続発」するワケ 横浜“騒音”に続き、また炎上…「国民的バンド」が背負う巨大すぎる代償
老若男女に届く開放性
花火問題も同じ構図の延長線上にある。花火の演出はこの手のライブで定番のものではあるが、隣接する球場にいる選手や観客にとっては試合の流れを妨げる迷惑行為と見なされてしまう。
2日間とも試合中に中断が発生しており、演出のタイミングが競技の流れと無関係に組まれていたことが不満を招いた。問題は、花火を打ち上げたこと自体ではなく、巨大イベント同士が隣り合う都市空間で、誰の時間を優先するのかという調整が十分にできていなかったことにある。人気のあるアーティストであるほど、この手の問題が起きたときに「人気を笠に着た傲慢さ」がにじみ出ていると捉えられてしまい、余計に印象は悪くなる。
では、なぜミセスのライブでこうした問題が続発しやすいのか。ここには、彼ら自身の性質というより、現在のミセスが背負わされている役割の大きさがある。彼らはポップで華やかで、老若男女に届く開放性を持っている。そのため、コアな音楽ファンだけでなく、SNSで盛り上がりたい層、企業案件と親和的な層、イベントを「体験」として消費したい層までもが集まりやすい。
ファンの母数が爆発的に増えると、共同体としての規律は薄まり、マナーのばらつきも大きくなる。しかも会場が大きくなれば、運営は音楽公演であると同時に都市イベントの管理者にもならざるを得ない。今回の一件は、ミセスが悪いという単純な話ではなく、ミセスというブランドがすでに「音楽」の領域だけでは完結しない規模に達していることの副作用だと見るべきだろう。
Mrs. GREEN APPLEという存在の本質は、単に才能あるヒットメーカーであるだけでなく、現代日本の「無難に広く好かれるスター」の理想形に近いところにある。だからこそ企業もテレビも公共性の高い舞台も、安心して彼らを担ぎやすい。
しかし、その安全で明るいイメージが極大化すると、そこにファンだけではなくライトな層も大量に流入してくることになる。そこからさまざまな問題が発生することになる。
今回の騒動が話題になったのは、ミセスがただのバンドではなく「公共財」に近い扱いを受けているからだ。今後の焦点は、彼らがその規模に見合うだけのライブ運営能力を持てるかどうかである。今回の問題続出は、人気の陰で起きた偶発的事故ではなく、人気のレベルが次の段階に進んだときに避けて通れない試練だったのではないか。
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