「おおビッグ、よく来たな!」 田原俊彦の支えになった“破天荒すぎる昭和の名優”の愛ある言葉

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マイケルの映像を見て…

 2度目のインタビューは80枚目のシングル「愛だけがあればいい」をリリースした24年。この時のテーマは「人生を変えた一曲」だった。

 故・ジャニー喜多川と出会い、故郷の甲府から毎週末にレッスンに出かけるようになった。しばらくしてジャニーが合宿所にオープンリールのデッキを持ってきた。その時に見せてもらったのがジャクソン5の「I Want You Back」。マイケル・ジャクソンが兄たちに交じって、飛び跳ねながら歌っていた。

〈リズミカル! この人はゴム人間かというくらい動きが柔らかかった。そんな彼が歌って踊るシーンを見て、脳天を撃ち抜かれた気がしました。それぐらいの衝撃でした〉

 この時のマイケル・ジャクソンの姿が、後の田原のスター人生を決定的にしたといってもいい。

 田原はドラマ「3年B組金八先生」(79年)で世に出て、80年のデビュー曲「哀愁でいと」がヒット、同年「ハッとして!Good」がオリコン1位を獲得した。

 転機は83年。本格的なダンスを学ぶため、アメリカに飛んでレッスンを受けた。この頃、マイケルが始めていたのがムーンウォーク。田原はこれを習得するためにビデオを擦り切れるまで見た。

 岡野誠著『田原俊彦論』(青弓社)によれば、83年発売の「シャワーな気分」で、〈(田原は)敬愛するマイケルの技を早速取り入れている…テレビで初めてムーンウォークをおこない、日本に浸透させた人物は田原俊彦だと思われる〉としている。

努力を惜しまず

 マイケルはツアーで4回来日しているが、田原はすべてを見ている。憧れの人を見るだけでなく、どんな動き、仕掛けを試みているかを盗むのも目的だったそうだ。現在はワールドツアーのステージをYouTubeで見ることができるので、夜な夜な見ている。そしてマイケルを意識しながら、明るい照明の下で、窓に映る自分の動きを確認する。

 うれしかったのは、84年ロサンゼルス五輪の聖火ランナーで走った時に「日本のマイケル」と紹介されたこと。それを取り上げた新聞紙面では、田原とマイケルの写真が並ぶ“ツーショット”になった。

 田原の周りにはビッグな話が転がっている。事務所の後輩である井ノ原快彦は「ビッグ」発言を「ギャグだったと思う」と語ったそうだが、それも頷けるし、見方を変えれば勲章のようなもの。田原はまだ「ビッグ」発言のくびきから解放されていないのだろうか。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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