「子ども時代の義父母の愛情が…」 横尾忠則が「受動的にいるほうが生きやすい」と思うようになった理由
どうも僕には“大人になりたくない症候群”願望が強く自分を支配しているところがあるような気がします。このような感情はどこから来ているのかわかりませんが、どうも親の育て方にその原因があるような気がしてならないのです。
子供のいない両親のところにある日突然、子供が他所からやってきたのです。すでに老齢に達した夫婦が、自分の腹を痛めて生んだ子供ではない子供と親子の関係を結ぶとはどういう気持なんですかね。子供といってもまだ赤ん坊に近い幼児です。その子供には全く意志がありません。親になった老夫婦はどんな気持で幼児を迎えたんでしょうかね。何もかもわかって僕を自分達の子供にしたんでしょうが、幼児の僕には何が何んだかさっぱりわからないまま、運命まかせに従うしかなかったわけです。
山の中の川から流れてきた大きい桃を拾った老婆が家に持ち帰ったところ、中から小さい幼児が現われて、その瞬間に親子の関係が結ばれた桃太郎の物語のような、といえばおとぎ話のようですが、僕が親と呼ぶ老夫婦はいきなりファンタジーの世界に迷い込んだようなものだったんじゃないでしょうか。
そんな状況で親子関係が結ばれたものだから、子供などさずけられないと思っていた老夫婦は、さずけられた子供を徹底的に猫可愛がりに可愛がってくれました。目の中に入れても痛くない、とにかく徹底的に可愛がってくれました。常に子供の要求する以前に先き廻りして、僕の要求するもの全てを満たしてくれました。
だから何もしない子供として育てられたように思います。兄弟のないひとりっ子なので親の愛情全てを僕に投げかけてくれました。そんなわけで何ひとつ自分で行動を起こさない子供になってしまったのです。自分の欲求するものさえわからず、与えられるものが「それ」だったのです。
従っていつの間にか人まかせの性格になってしまっていました。能動的に行動を起こすのがメンドー臭く、与えられた状況に従う体質ができてしまいました。その結果運命に従う方が便利がいいと思ったのです。能動的に行動するより受動的にいる方が生きやすいと思ったのです。
そういうことから僕は大人になることより子供でいることの方が生き易いと思うようになった気がします。小学校を卒業する時、通知簿の父兄欄へのメッセージには、「いつまで経っても人にチョッカイを出して、今だに幼児語が抜けず、中学生になるのに心配だ」と書かれていました。
また自分のことを両親は「ターちゃん」と呼んでいましたが、10代の終り、社会人になるまで僕は自分のことを「ターちゃん」と呼んでいました。だから基本的に、子供であり続け、大人にはなりたくなかったのです。子供でいることが僕にとっては便利がよかったのです。
全て他者の意志や行動にゆだねた方が、変な野望や野心などの欲望を持たない方が生き易い、つまり運命に全て身をまかせる方が余計なことを考える必要はないという考えがすでに10代でかたまっていました。だから偉くなりたいという名誉や地位には無関心だったと思います。偉くなって人の上に立つようなことは非常に恥ずかしいことだと思っていました。
こうしたいつまでも大人になりたくないという考えが深く根づいていたように思います。そんなわけで大人になった今でも、子供でいたいと思うようになったのではないでしょうか。子供でいる方が、何かにつけて人がメンドーを見てくれるという、ズルい考えをした方が生き易いといった発想が、10代の人格が形成される時期に僕の人格を築き上げていったように思います。
高卒後に印刷所に入っても新聞社に入った時も、どこへ行っても先輩から可愛がられていたので、最高に幸せだったと思います。経済的には全く恵まれていませんでしたが、いつも先輩や上役が面倒を見てくれていました。この頃の生活は今思うと奇蹟のようなことばかりでした。およそ結婚などできる経済能力など全くない貧乏生活の時期に、まだプロポーズもなく知合って1週間目だというのに生活の基礎になる住いを準備してくれた妻も、子供の域を出ない僕の大人子供の性格を見て悟っていたからだったのではないかと思います。
今度、「週刊新潮」に連載しているエッセイから運命に関する文章などを集めた『運命まかせ』という本が「新潮新書」から出版されることになりました。まあ、ともかく運命についてはこの欄でも何度も書いてきましたが、僕の生き方を決定的に決めた理念です。こんな人間もいるのか、位に読んでいただければと思います。


