「日テレ」の放送なのに裏番組に負けた「長嶋茂雄さん」追悼特番 ファンが最も不満に感じたポイントとは?

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現役時代が少ない

「亡くなったのが朝6時39分で日テレが速報したのが8時44分ですから、朝刊にも間に合わない。昼過ぎくらいに知った会社員もいたでしょう。それでその日の夜7時に追悼特番と言われても、見たくても見られなかった人がいたかもしれません。そんなに急いで特番を放送する必要があったのかどうか……」

 夕刊のラテ欄に「緊急特番」の情報が間に合わなかった新聞もあったほどだ。

「長嶋さんの巨人入団が1958年ですから、当時を知っているのは70代以上。現役を引退したのが1974年ですから、半世紀以上も前になります。ライバルといわれた村山実さん(1936~1998)や野村克也さん(1935~2020)らは鬼籍に入り、同時代に活躍した広岡達朗さん(93)や権藤博さん(86)もスタジオにはいませんでした。ゲストの中畑さんらは長嶋さんの監督時代の弟子世代ですから、徳光さんを除き現役時代を語れる人がスタジオにいなかったのです」

 確かに、長嶋さんの現役時代の話は最初の25分で終了し、後は監督就任以降のエピソードだった。

「あの煌びやかなバッティングと守備があってこそのミスターですからね。打って走って守ってこそ野球であり、それは長嶋さん自身も仰っていました。監督では画になりません。過去の映像は確かによく集められてはいましたが、なんだか羅列的でした。プロデビュー直後の初の公式戦で、金田正一さん(1933~2019)に4打席4三振を食らった映像もわずかでした。どうせなら、次の試合の第1打席も三振で実は5打席連続三振だったとか、そういう映像はないんですかね日テレには。天覧試合にしても、お決まりのサヨナラホームランだけでなく、この試合では王貞治さん(85)もホームランを打っていて初のON砲だったとか、加えて長嶋さんは2本のホームランを打っており、さすが“燃える男”とかいくらでも紹介できたはずです」

本当の秘蔵映像を

 引退時の名ゼリフ「我が巨人軍は永久に不滅です」は“重言”と揶揄されることもあったことについては、翌日の「羽鳥慎一モーニングショー」(テレ朝)が過去のインタビュー記事を取り上げて説明していた。

《あのメッセージは、かなり前から球場への行き帰りの車の中などで思いめぐらせていました。考えてみると、永久と不滅は、同じ意味を重ねることになるかも知れませんが、「永久に不滅です」と声に出すと、語呂がよく、スムーズだと思ったのです》(朝日新聞:2011年8月19日夕刊)

「監督時代を取り上げるにしても、94年の中日と同率最終戦に勝利した“10・8決戦”、96年の首位から最大11・5ゲーム差から逆転優勝した“メークドラマ”はもっと長尺で見せても良かったと思います」

 だが、難しさもあるという。

「美空ひばりや石原裕次郎には歌も映画もある。志村けんさんにはギャグとコントがあり……尺が持つんです。プロ野球選手の長嶋さんの場合、10秒くらいのワンプレーを羅列して積み上げる編集しかできなかったのかもしれません」

 とはいえ、日テレといえば巨人であり、その終身名誉監督が長嶋さんだった。そんなに急がなくてもいいから、本当の秘蔵映像を見せてほしいというファンは多いはずだ。

デイリー新潮編集部

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