「処分解除を『あと1年待て』と言われ、白鵬の心は折れた」 相撲協会退職の全舞台裏 「協会の“圧力”で会見もキャンセルに」
「『あと1年待て』と言われ、白鵬の心が折れた」
「それから1年が過ぎ、いっこうに宮城野部屋再興のめどが立たないことから、最終的には退職を決意したのです」
と、先のタニマチ関係者が白鵬の心中を代弁する。
「白鵬の処分期間は、1年以上2年未満だった。白鵬は3月の大阪場所後の定例理事会で、処分解除の話が出ることを期待していました。しかし、『まだまだ早い』という声が強く、『あと1年待て』というものだった。それで白鵬の心は折れてしまった」
しかも、今の伊勢ヶ濱親方が7月に定年となり、元横綱の照ノ富士親方が部屋を継承することも追い打ちをかけた。自分より後輩の下で指導を受ける立場になることは、とうてい受け入れられるものではなかった。
「無断でマスコミの取材など受けたら処分の対象になる、とまで言われ……」
実は、ここに至るまでに2回、白鵬は退職記者会見をキャンセルしていたという。タニマチ関係者によれば、白鵬は協会に退職届を出した上で、5月7日、都心の有名ホテルで会見する予定であったが、
「相談を受けたタニマチ筋から、夏場所の直前に会見をやると、相撲協会にケンカを売っているように見られるので、まずいのではないか。場所後に延期した方がいいと助言され、キャンセルした」(同)
2度目は、大の里の優勝で沸いた夏場所後の5月27日。今度は協会から“物言い”が付いた。
「大の里の優勝、横綱昇進に水を差すつもりか。会見はやめてほしい。協会が先に退職を発表するから、それまでは黙っていてくれ。無断でマスコミの取材など受けたら処分の対象になるとまで言われ、会見場となるホテルのキャンセル料はもったいないけど、やむを得ず延期することにしたのです」(同)
後編で詳述するが、白鵬は退職後の青写真を描いており、そのためには相撲協会とはもめたくなかった。
「今後、伊勢ヶ濱部屋預かりになっている弟子たちの受け皿となる部屋の問題があり、受け入れ態勢の調整のためには協会の協力が不可欠です。それと、白鵬はアマチュア相撲を主催しており、それも続けたい。加えて、宮城野の年寄株の譲渡の問題も残っており、協会とケンカするわけにはいかなかったのです」(同)
後編【「白鵬はひどい誹謗中傷を受けた」「協会はウソを」 迷える白鵬に手を差し伸べたのはトヨタ・豊田章男会長 次なる目標は「世界相撲グランドスラム」】では、白鵬が退職後に頼るとみられているトヨタ自動車の豊田章男会長のコメントを紹介しながら、白鵬の「次なるビジョン」について詳しく報じる。
[2/2ページ]