日本ハム・新庄監督だけではないプロ野球“宇宙人伝説” 元阪神のエースは「1ヵ月390円」で生活…DeNA右腕は次戦の先発投手を漏らす“大失態”

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 新庄剛志監督率いる日本ハムが開幕から首位争いを演じ、就任4年目のリーグ優勝も現実味を帯びてきた。阪神選手時代に野村克也監督から「宇宙人」と命名された新庄監督だが、球界には“元祖宇宙人”以外にも同様の呼称を持つ男たちが多く存在する。【久保田龍雄/ライター】

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腰の治療のためプロ入りを決意

 阪神のエースとして2003、05年と2度のリーグ優勝に貢献した井川慶も、宇宙人ぶりでは、新庄監督に引けを取らない。

 そもそもプロ入りしたのも、常人ではあり得ない理由からだった。

 水戸商時代に平安の川口知哉(オリックス)、鳥取城北の能見篤史(阪神→オリックス)とともに“高校生左腕三羽烏”と注目された井川だったが、当時は「最高の仲間たちと1日でも長く野球を続けたい」と考え、プロを目指していなかった。セパ12球団あることも知らなかったという。

 だが、腰を痛め、高3夏の県大会でほとんど登板できなかったことが、プロ入りを決意するきっかけとなる。

「とにかく当時は腰が悪かった。腰の治療やトレーニングのことを考えると、最も施設が充実しているのはプロ。だから、行こうと思った」(高森勇旗著「俺たちの『戦力外通告』 ウェッジ」)。

 ドラフト2位で阪神入団後、2000年まで実働2年で登板16試合、2勝4敗、防御率4.94と伸び悩んだ。ところが、同年オフに左の先発・湯舟敏郎が近鉄にトレードされ、球団が左腕の補強をしなかったことから、「あれ、これは俺がやんなきゃマズイな」とスイッチが入り、翌01年に先発で9勝と確変。

「甲子園の駐車場にプレハブ小屋を建ててくれませんか。そこに住むから」

 03年に20勝を挙げて18年ぶりのリーグ優勝に貢献するなど、押しも押されぬ“虎のエース”になった。その03年は「連勝中は髪を切らない」とゲンを担いだところ、4月30日の巨人戦から8月2日の中日戦まで12連勝してしまい、とんでもない髪型になったエピソードも有名だ。

 宇宙人ぶりは私生活でもいかんなく発揮された。衣食住にこだわりのない井川は、「虎風荘」の8畳一間の寮生活が気に入ってしまい、1億円プレーヤーになって追い出されるまで6年間も住みつづけた。

 外食は先輩がおごってくれるし、プロ野球選手らしからぬ倹約家とあって、1年目の7月は、1ヵ月の間に使ったお金がゲーム雑誌代の390円だけだったという。

 また、移動の際に球団から支給されたのぞみのグリーンチケットをひかりの自由席券に買い替えて節約。まさかと思って確認した金本知憲に「当然じゃないですか」と答えたという話も伝わっている。

 そして、極めつけは、6年間住んだ寮を出る際に、球団に「甲子園の駐車場にプレハブ小屋を建ててくれませんか。そこに住むから」と要望したことだった。もちろん断られたが、前代未聞の申し出を受けた球団幹部はさぞかし困惑したことだろう。

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