西武・高橋光成は13連敗でストップ! “連敗地獄”から脱出した投手の「その後」…歴代ワーストの3年にも及ぶ「大連敗記録」も

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 西武・高橋光成が4月29日の楽天戦で勝利投手になり、2年がかりの連敗記録を「13」で止めると、次戦、5月7日のソフトバンク戦でも勝利投手になった。過去には高橋を上回る連敗記録をつくった投手もいるが、彼らが連敗脱出後、どんな成績を残したかを振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】

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「もう2度と勝てないのでは?」と本人も諦めかけたが…

 まずはやっぱり、この人、メジャーもビックリの“世界最多”の28連敗を記録した大洋の左腕・権藤正利から紹介する。

 洋松入団1年目の1953年に15勝12敗で新人王に輝いた権藤は、翌54年も2年連続チーム最多の11勝を挙げた。

 ところが、球団名が大洋に変わった55年、「ピッチングの幅を広げよう」とシュートとシンカーを覚えたことが裏目に出る。持ち味のストレートが走らなくなり、7月19日の広島戦から8連敗。翌56年も0勝13敗でシーズンを終えた。さらに57年も開幕から6月2日の阪神戦まで7連敗を喫し、ついに足掛け3年で28連敗となった。

 そして、「もう2度と勝てないのでは?」と本人もあきらめかけた矢先の7月7日の巨人戦、迫畑正巳監督は一計を案じ、試合前に下手投げエース・秋山登に打撃練習をさせ、巨人側に「先発は秋山」と思い込ませた。

 はたして、巨人は左打者をズラリと並べたオーダーを組み、先発が権藤と知ったときには、あとの祭り。小雨の降る中、権藤は4安打完封勝利を挙げ、試合後、ナインに祝福の胴上げをされた。

 長い負の連鎖に終止符を打った権藤は同年12勝を挙げ、見事復活。阪神時代の67年には、リリーフ中心の起用ながら、藤本定義監督の“タイトル獲得作戦”により、シーズン最後の20日間に45イニングも投げて規定投球回数に達し、最優秀防御率(1.40)のタイトルを手にするなど、通算117勝(連敗脱出後に計88勝)を挙げた。連敗脱出後に16年間も現役を続けたことも特筆に値するだろう。

 ちなみに米大リーグでは、メッツのアンソニー・ヤングが1992年から93年にかけてメジャー最多の27連敗を記録したが、権藤の記録にあとひとつ及ばなかった。

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