五輪に行けないまま引退するのかな…「フェンシング界の内田有紀」が“2度の代表落選”“1年の無所属期間”を乗り越えて銅メダルを獲得できた理由

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 昨夏のパリ五輪の女子フルーレ団体で銅メダルを獲得したフェンシングの宮脇花綸選手は、慶應大学卒の経歴や、クイズ番組に出場して優勝賞金300万円を獲得したことなどから「頭脳派フェンサー」としても知られているが、過去の競技生活では2度の五輪落選など、さまざまな壁に直面してきたことも。3年後のロサンゼルス五輪に向けて歩み始めた宮脇選手に、落ち込んだ時の気持ちの切り替え方や、今後に向けた目標について語ってもらった。(全3回のうち第3回)

パリ五輪で「ようやく何かを成し遂げた」

 宮脇選手は昨年夏のパリ五輪で女子フルーレの代表メンバー入りを果たすと、団体戦では日本フェンシング女子としては史上初のメダル獲得に貢献し、一躍時の人となった。

「ようやく一つの夢を叶え、『何かを成し遂げた』と胸を張れるようになったことが率直に嬉しかったですし、アスリートとしてもホッとした部分がありました」

 そう振り返る本大会では、勝てばメダルが確定する準決勝でイタリアに敗れた(39対45)ものの、3位決定戦では、カナダを33対32で下し、見事に銅メダルを手にすることに。

「私自身も3位と4位の大きな違いは強く感じていたので、『何としてでも試合に勝って、メダルを掴みに行こう』と意気込んで試合に臨みました。カナダはこれまでの対戦成績では勝ち越している相手でしたが、なかなか得点を奪えないチームなので、戦いづらさは感じていました。もしリードを許したら、苦しい展開に追い込まれてしまうので、これまで以上に緊張していたような気がします」

 試合の序盤は互角の試合展開が続き、一時はエースの上野優佳の活躍で5点のリードを奪ったが、その後はカナダの追い上げを許す展開に。だが1点のリードを守り切った日本代表が勝利を収め、見事に日本人女子初の快挙を成し遂げた。

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