「長友佑都」5回目のW杯出場なるか 大ベテランが「森保ジャパン」に招集されたきっかけは宿敵に喫した「悪夢の敗戦」
肯定的な意見もあれば、否定的な意見もあることは十分に理解しているつもりだ。そして恐らくこの問いかけの答は、来夏の北中米W杯が終わるまで出ないだろう。長友佑都の存在価値は、森保ジャパンの結果──それは目標にしている「ベスト8以上に行けたかどうか」──そして「いかに戦ったか」という試合内容で判断するべきだからだ。(全2回の第1回)【六川亨/サッカージャーナリスト】
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過去、日本代表としてW杯に4回参加した選手はGK川口能活と楢崎正剛、さらに同じくGK川島永嗣らがいる。
川口と楢崎は日本が初めて出場した98年フランスW杯から10年南ア大会まで4大会連続、川島は10年南ア大会から22年カタール大会まで、同じく4大会連続して参加した。
そして長友も川島と同様、10年南ア大会から22年カタール大会まで4大会連続して参加している。
さらに長友の出場試合数は南ア大会が4試合、14年ブラジル大会が3試合、18年ロシア大会が4試合、そして22年カタール大会は4試合と、4大会ですべての試合に出場。南アとブラジル、ロシアでは11試合ともスタメンで90分間フル出場している(カタールでは4試合とも途中交代)。
W杯通算15試合出場は、11試合でトップだった長谷部誠と川島を抜いて最多出場記録でもある。そんな長友が北中米W杯に参加すれば、これも歴代最多の5回となり、試合に出場すれば最多記録を更新することになる。
長友は、カタールW杯の決勝トーナメント1回戦、12月15日のクロアチア戦でスタメン出場した。
だが64分に三笘薫と交代。この試合を最後に、翌23年のキリンチャレンジ杯、W杯アジア2次予選のミャンマー戦とシリア戦、さらに24年元旦のタイ戦とその後にカタールで開催されたアジア杯にも招集されることはなかった。
現役終了を覚悟した長友
長友自身もカタールW杯後に「現役を終えると思っていた」と振り返っている。
そんな長友に招集の声がかかったのが24年3月21日のW杯アジア2次予選、ホームでの北朝鮮戦だった。実に1年と2か月、17試合ぶりの代表復帰で、試合には出場しなかったものの久しぶりのベンチ入りを果たした。
彼の代表復帰は、カタールでのアジア杯に理由があったと思う。チームは若返りが進み、左SBは伊藤洋輝に加えて中山雄太が、右SBは菅原由勢に加えて毎熊晟矢が台頭してきた。
しかし、優勝候補の筆頭と目されたアジア杯では、準々決勝で宿敵イランに1-2で敗れた。
この大会は、冨安健洋と三笘のイングランド勢が負傷を抱えての大会参加で、どこまでプレーできるかわからないほどだった。
三笘はグループリーグの3試合はベンチ外。ベンチ入りは決勝トーナメントに入ってからの2試合で交代出場にとどまった。
さらにイラン戦では後半アディショナルタイムにPKを献上した板倉滉も前年の10月に手術をしたばかり。元旦のタイ戦はベンチ入りにとどまり、アジア杯に向けてコンディションは上向きとはいえ万全ではなかった。
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