20代の時に起きた「ストーカー侵入事件」 足元に立っていた「ロッチの中岡さんをシュッとさせた」男

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さとう珠緒、インタビュー第2回

「ぷんぷん」などの“ぶりっ子キャラ”で知られる俳優でタレントのさとう珠緒(52)。10代で芸能界入りし、地下アイドルのような活動からスタートしたが、その道のりは決して順風満帆ではなかった。一度は芸能界を離れてしまったこともあった。プライベートでは、ストーカー被害にもあって……。(全8回の第2回)

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――憧れだった芸能界で、「やってみようかな」と思うようになったのはいつですか。

 中学3年生のときです。

――きっかけになった出来事は何かありましたか。

 叔母の友達に、「トコちゃん」という女性がいるんですが、その人が「あなた、絶対芸能人になれるよ」って強く勧めてくれました。

――「トコちゃん」とはまだ、会っているんですか。

 今はもう70歳くらいで、一昨年に久しぶりに再会したんですが、「私が説得したのよ」って、今も本人が覚えていました(笑)。

――実際に芸能活動を始めたのは、いつごろからですか。

 中学校を卒業して、春休みくらいのタイミングですね。1988年です。そのときに「ミスアクションオーディション」で、準ミスに選ばれたんです。その後、芸能事務所にちょっと預かりという形で所属することになって、芸能活動がスタートしました。

――最初の仕事はどのようなものだったのですか。

 アイドルグループのメンバーとして、土曜日の夜9時に生放送のラジオ番組に出演していました。よみうりランドで行われたイベントなどにも出ていました。振り返ると、底辺の“地下アイドル”のような活動でしたね。

「もういいや」

――ラジオは「少し頑張っていこう」という気持ちはあったのですか。

 それが……あまりなかったんです。頑張りきれなかったというか。みんなで「セーラーズ」のトレーナーをお揃いで着るとか、そういうアイドルっぽいことをやるのがどうにも苦手で……。歌を歌うのもなんか気が乗らなかったし、「なんでこんなことやらなきゃいけないんだろう」と思いながらやっていました。

――ラジオ番組ではどんなコーナーを担当していたのですか。

 番組内に「懺悔の部屋」というコーナーがあって、作家さんが書いた原稿を読むんです。たとえば「タマちゃん、こんなことしちゃいました。反省して懺悔します」みたいなセリフを読むんですけど、それもなんかしっくり来なくて……。原稿をうまく読めない自分にもイライラしたし、やる気がどんどん下がっていったんだと思います。

――最終的には活動を一度やめたんですか。

 はい。高校の終わりの頃、「もういいや」となって、やめちゃいました。

――高校卒業後はどうなったのですか。

 過去の映像を見た人から「またやらない?」って声をかけられたんです。当時はちょうど就職氷河期で、就職も難しい状況だったのと、高校時代に映画にどっぷりハマったこともあり「じゃあ、やります」と答えて、もう一度やってみることにしました。

――当時の給料は安かったのですか。

 はい、すごく安かったです。ただ、広告の仕事が入ると、ちょっとしたボーナスのような“お手当”がもらえたりはしました。月給はちょっとずつ上がって、普通のOLさんくらいいただけるようになりました。

――住む場所はどうしていましたか。

 23歳のとき、「ミニスカポリス」をやり出してからは、CMの仕事なんかもたくさん入るようになって、事務所が良い家に住まわせてくれました。すごく快適なところでしたが……そのとき、ストーカー事件が起きたんです。

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