【追悼】元中日「ブランコ氏」の現役時代を知る関係者が明かす“在りし日の姿” 「メジャー経験者特有のわがままがなく、どのチームにも溶け込んだ」 

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は2025年4月8日に亡くなったトニ・ブランコさんを取り上げる。

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元同僚を救って絶命

 カリブ海にあるドミニカ共和国の首都、サントドミンゴ。老舗のナイトクラブ「ジェットセット」のステージではラテン音楽のメレンゲが演奏され、500人以上の観客は踊る者、飲み物を手に席でくつろぐ者と思い思いに楽しんでいた。

 現地時間の4月8日火曜午前0時45分ごろ、観客は上から砂のようなものが落ちてきたことに気付く。プロ野球中日などで活躍したトニ・ブランコさんは、西武やオリックスに在籍したエステバン・ヘルマンさんとこの場にいた。天井崩落の始まりを察したブランコさんは、トイレから席に戻ってきたヘルマンさんを突き飛ばし、落下物の直撃から守った。この機転によりがれきに埋もれながらもヘルマンさんは命を取り留めたが、ブランコさんは絶命。

 226人の犠牲者の中には、44歳のブランコさんをはじめ、メジャーで通算109セーブを挙げたオクタビオ・ドテルさんや州知事など著名人が多く含まれる。

メジャーに上り詰めるのはわずか2%

 ブランコさんは1980年、ドミニカ共和国生まれ。

 メジャーリーグ評論家の福島良一さんは言う。

「メジャー球団が同国にアカデミーを開設して才能を発掘しています。身体能力の高さは折り紙付き、生活は貧しく、野球で認められれば家族を助けられるとハングリー精神がある。アメリカ側から見れば優秀で安い人材。スタート地点のアカデミーに入るだけでも激しい競争があります」

 さらにアカデミーで選別され、年間数百人がアメリカの球団と契約するが、傘下のマイナーリーグを経てメジャーリーグまで上り詰めるのは、その2%ほどだ。

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