「フライト」が「地上勤務」に突然変更…会議室で部長がPCをくるりと回し、映っていたのは「自分のグラビア写真」だった

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教官になりたかった

――もともとは、CAを続けながら、最終的にはどうしたかったのでしょうか。

 教官になりたかったです。

――それはなぜですか。

 かっこよかったからです(笑)。訓練中はめちゃくちゃ厳しくて、新人を鍛え上げる役割なんですけど、それが終わるとすごく優しくなるんです。「この人たち、本当に私たちのためを思って怖くしてくれていたんだな」と思って、憧れていました。

――でも、その夢はなくなってしまいました。

 はい、バレた時点で「グラビアに行くしかないかな」と思いました。

――気持ちは揺れていましたか。

 CAはやりたかったんですが、会社のルール上、続けるのは無理でしたね。

――その後、どうなったんですか。

 退職日を決めて、普通に有給消化して、制服を返しました。

――約2年間の勤務を経て、退職の日、何か印象に残っていることはありますか。

 新入社員の時にすごく厳しかった鬼教官が、辞める日に話しかけてきてくれたんです。その教官は、もうその時はすごく優しくなっていたんですけど、私が制服を返しに行った時に、私のDVDを持ってきて「これにサインしてくれない?」って言われたんです。

――サインですか。

 はい。まだグラビアを始めたばかりで、DVDを出したてくらいの時です。「大変だったと思うけど、応援しているから。もっとすごくなると思うから、サインしてくれない?」って言われて……。

――どうしたんですか?

 さすがに「それはできないです」と断りました(笑)。まだ志も高くなかったし、まさか今みたいに仕事が増えるとは思っていなかったので。でも、そういう風に声を掛けてもらえたのはすごく嬉しかったです。

――同期も声をかけてくれましたか。

 はい。今でもたまに会ったりしますし、お互いの近況を話したりしています。

 ***

 第6回【CAを辞めてグラビアへ 「バストトップは絶対出さない」と決めた26歳がバラエティで見せた“もう一つの顔”】では、「乳首NG」を貫いたグラビアの仕事などを語っている。

風吹ケイ
1999年、大阪府出身。2022年、ファーストDVD「降臨」でデビュー。以後、グラビア、映画、YouTubeなどで活躍する。

デイリー新潮編集部

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