ヤクルトのリーグ優勝を支えた左腕「久古健太郎」が語るセカンドキャリア 「逆算しながら考えると、今やるべきことが見えてきます」
結束が強かったリリーフ陣
チームのために左腕を振り続けた久古氏も、シーズン終盤に肺炎による戦線離脱を経験。「優勝出来なかった責任を感じましたし、本当に悔しかった」記憶と共に、ルーキーイヤーを締め括った。
久古氏は翌年以降も中継ぎとしてチームを支えたが、優勝には及ばず。雪辱を果たすチャンスを掴んだのは、真中満氏を監督に迎えた2015年のことだった。8月後半に2位に付けたチームは、巨人、阪神とのデッドヒートを制し、14年ぶりのリーグ制覇を勝ち取った。
「シーズン終盤に差し掛かるにつれて、徐々に優勝への意識が高まり、チームが結束していく雰囲気を感じていました。当時のチームには逆転を許した2011年の悔しさを知る選手も多かったので、優勝に対する思いは強かったと思います」
この年は、久古氏をはじめとする中継ぎ陣やロマン、オンドルセク、バーネットによる外国人救援トリオ「ROB」が躍動。川端慎吾、山田哲人、畠山和洋らの強力打線が奪った得点をリリーフ陣が守り抜き、白星を積み重ねた。
「ブルペンに控えるリリーフ陣は、試合中も積極的にコミュニケーションを取りながら過ごしていましたし、結束は強かったと思います。僕は5~7回に登板する機会が多かったですが、後ろに3人の外国人投手が控えていたので、彼らに繋ぐことを考えながら、集中して野球に取り組めました」
まずは10年後の姿を考える
日本シリーズでは、「圧倒的な戦力差を感じた」という福岡ソフトバンクホークスに敗れたものの、この年の優勝は久古氏の成功体験として深く刻まれているようだ。
その後も左腕を振り続けたものの、持病の不整脈の影響で登板がなかった2018年限りで自由契約に。引退後は大手コンサル企業のデロイトトーマツコンサルティングに就職。昨年1月からはスポーツテック企業のライブリッツ(株)で、プロジェクトリーダーを任されている。
「ビジネスを始める時には、まずはプロジェクトの目的やゴールを設定し、最初に何をすべきなのかを考えなければなりません。このベースになる考え方は、野球をしていた時のものに似ているように感じています」と、スポーツとビジネスの共通点を語る久古氏の下には、セカンドキャリアを模索する元選手からの相談も多くくるそうだが……。
「僕は、自分が本当にやりたいことを見つけるのは、とても難しいと思っているんです。なので、相談を受けた時には、まずは10年後の自分の姿を思い描いて、その時に何をしていたいのかを考えることを勧めています。職業、収入、家族の状況を具体的に思い浮かべてみて、そこに辿り着くにはどうすれば良いのか。逆算しながら考えていくと、今やるべきことが見えてくるはずなんです」
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