工藤公康が監督をして気付いた「部下に信頼されるコツ」 声を荒らげて叱った“手痛い失敗”から学んだ「選手との向き合い方」とは
部下の挑戦を後押し
そうであるならば、今までの私のコミュニケーション方法は中間管理職に求められているものとは大きくかけ離れていました。
端的に言えば、1年目に日本一という結果を出した私は「自分のやり方を貫けば勝てる」と考えていました。選手やコーチから上がってくる意見や提案を表面的には聞くものの、最後には自分のやり方を押し付けていたのです。一般の会社でも同じだと思いますが、そんな独りよがりの管理職では、部下の間に不満がたまっていくのは当たり前です。
変わらなければいけないのは自分自身だった。そう気付いた私は、まず、コーチとのコミュニケーションから見直すことにしました。
監督として3年目を迎えた17年春、私はコーチたちに「これからはどんなことでも積極的に提案してほしい。責任は私が取る」と伝えました。彼らはそれまでとのギャップを感じたのか、一様に「えっ、本当にいいんですか」と驚いていました。中には「うまくいかなかったらどうするんですか」と不安に感じる声もありました。
私はそのような声に対して、その都度、「失敗したっていい」と丁寧に答えるようにしていました。一般の会社でも、部下が提案してきた企画書や改革案を「うまくいくわけない」と却下していたら、部下はその上司に二度と提案しようとは思わなくなるでしょう。
挑戦して失敗するのは誰しも怖い。でも、失敗したとしてもそれを失敗のまま終わらせず、なぜうまくいかなかったのかを検証し、修正すればそれでいいのです。
「どうせ監督が決める」という冷めた空気が変わった
〈そんなキレイごとで組織は簡単に変えられない。そう思う人もいるだろう。だが、ホークスでは実際にこのやり方でさまざまなことがうまく回り出すようになる。〉
中でも大きく変わったのは、スタメンや打順の決め方です。16年までは、練習の際にバッティングコーチに各選手の状態を聞くことはありましたが、スタメンや打順は基本的に監督の私が一人で決めていました。
しかし、17年からは、私とヘッドコーチ、バッティングコーチ2名の計4名による“合議制”で決めるようにしたのです。それも形ばかりの合議制ではなく、まず私が自分なりに考えた4パターンのスタメン・打順をコーチ陣に提示。コーチ陣にもそれぞれ1~2パターンを考えてもらい、どれがベストかを議論するのです。
自分には投手として29年の選手経験がありますが、どんな投手にも攻略法はあるものです。そのため、監督となってからは、試合前、相手チームの投手の攻略法を考えて、それに沿って打順を決めるというやり方を採っていました。
ただ、私一人ではおのずから思考に限りがあります。そんなときにコーチ陣が、私が重視していなかったデータや、思いもしなかった発想から別の攻略法を提案する。そのように目線が増えれば、分析に深みが増すことになります。
さらに、合議制を取り入れたことでコーチの姿勢も変わっていくことに気付きました。それまでは、コーチの側にも「どうせ最終的には監督が決めてしまう」という冷めた空気が漂っていたように感じます。誤解を恐れずに言えば「勝とうが負けようが他人事」という雰囲気がまん延していたのです。コーチに意見を聞いても、最終的に私のやり方を押し付けていたのですから、当然です。
中間管理職は「決める人間」ではなく「準備する人間」
しかし、自分たちが考えたオーダーで試合に臨む可能性があるとなると、コーチたちの目の色は明らかに変わりました。自分がホークスの勝利に欠くことのできない存在であるという自覚が生まれたのです。
この経験から私が得た結論は、「監督」すなわち「中間管理職」とは「決める人間」ではなく「準備する人間」だということでした。みんなが意見を言い合える場をつくる。原案をつくる。根拠を聞かれたときに説明できるように映像やデータをチェックしておく。自分にはなかった素晴らしいアイデアがコーチから出てくることに期待する。そうしたことを“机上の空論”で終わらせず、実際に準備しておくことが求められていたのです。
〈工藤氏の試みは功を奏し、ホークスは17年に見事、リーグ優勝と日本一を奪還した。
もちろん、氏が変革したのは監督とコーチの関係だけではない。コーチを通じて、現場でプレーする選手たちとの関係改善にも乗り出していったのだ。その背景には、16年に喫した手痛い失敗があった。〉
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