「CAが社長になるなんて驚きしかない」 元CAからJAL社長に上り詰めた鳥取三津子氏の実力と強運

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 紅蓮の炎をあげる機体から素早く逃げ出す乗客たち。1月2日、海保機との衝突事故で日本航空機の乗客全員が“奇跡の脱出”を果たせたのはキャビンアテンダント(CA)の的確な指示があったからだといわれている。それから約2週間後、日本航空が発表したトップ人事は絶妙のタイミングだったといえる。同社の新社長に昇格する鳥取三津子氏(59)が、CA出身だったからだ。

「私たちの元同僚で、しかもCAが日本航空の社長になるなんて、驚きしかありません」

 そう話すのは日本エアシステム(JAS)の元副機長だ。日本の航空業界に身を置いた立場からすれば、どれほど大変なことか分かるというのだ。

「決して順調なキャリアではなかったはず」

 鳥取氏は1985年、CAとして東亜国内航空(TDA)に入社している。出身は福岡県久留米市。進学校で知られる伝習館高校から長崎の活水女子短大へ進み、同社の第93期のCAとして採用される。

「しかし、当時のTDAは国内がメインで、しかも地方路線ばかり。国際線はソウルと北京・広州に飛ばしている程度でした。TDAは後に日本エアシステムへ社名変更しますが、鳥取さんも国際線の経験は少なかったと思います」(同)

 当時、日本航空のCAは7千人規模。対するJASは2千人足らず。しかも、バブル崩壊で経営が悪化すると日本航空に事実上吸収されてしまう(形の上では経営統合)。この頃、鳥取氏は客室訓練部訓練課の指導係という立場だった。

「業界トップに飲み込まれたJAS社員の立場は決して強くありません。大型機の機長が職を外されて国内線のB737という小さな旅客機に回されることもあった。鳥取さんも決して順調にキャリアを積んでいたわけではなかったはず」(同)

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