川崎フロンターレ・鬼木達監督、ようやく日本代表監督候補に? 実力があるのに冷遇されてきた理由とは?

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 鬼木達(とおる)という名前をご存じだろうか。

 今月9日の天皇杯を制した川崎フロンターレの監督である。就任7季で7度目の三大タイトル獲得。49歳にして恐るべき実績だが、巷の評価は低い。なぜか。

 鬼木氏が監督に就任したのは2017年。1年目にいきなり川崎をJ1リーグ初優勝に導いた。しかもそれはクラブ史上初のタイトルでもあった。

 ところが、である。

 スポーツ紙記者によると、

「この年に得点王とMVPに輝いた小林悠は、前監督の風間八宏氏が辛抱強く育て上げた置き土産。風間監督就任と同時に主将となった中村憲剛もしかりです。他にも彼が育てた選手は多く、鬼木監督の手腕はあまり評価されませんでした」

 翌18年にもJ1を制し連覇を達成。19年はリーグVこそ逃し4位に沈むもルヴァン杯で初優勝。だが、それでも鬼木監督の評価が上がることはなかった。

“憲剛のおかげ”という声

 もっとも、この頃になると、さすがに“風間の遺産”という声は聞かれなくなる。その代わりに増えたのが、プロデビュー以来川崎一筋のレジェンド、“中村憲剛”の名前である。

 20年、川崎はJ1史上最多勝ち点で優勝を飾る。天皇杯も初制覇し2冠を達成。だが、いずれの快挙も当年限りで引退する中村のためにクラブが一丸となったたまもの――という筋書きに落とし込まれてしまった。

 21年は6月に田中碧がドイツへ、8月に三笘薫が英国へ移籍、と大幅に戦力ダウンするも、J1を再び連覇。しかし、それもやはり“憲剛イズムの継承”扱いされたのだった。

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