【大原麗子の生き方】「私は女優ではなく俳優なんです」と言った真意 親友・浅丘ルリ子が「お別れの会」で“二人の元夫”について語ったいい話

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 年齢を感じさせないコケティッシュな笑顔と魅惑のハスキーボイス。昭和から平成にかけて多くの作品で活躍した俳優・大原麗子(1946~2009)が今回の主人公です。実は彼女、国民的映画「男はつらいよ」で2度、マドンナを演じているのですが、その時期はなんと……。「寅さん記者」でもおなじみ朝日新聞の編集委員・小泉信一さんが、様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。名優の稀有な生涯に迫ります。

離婚直後に寅さんのマドンナを演じる

 寝ても覚めてもまぶたに浮かぶのは、あの人の面影ばかり。

 映画「男はつらいよ」の主人公・寅さんこと車寅次郎の恋は純粋である。美しいマドンナが目の前に現れても、指一本触れなかった。「そこが渡世人のつれぇところよ」。そう粋がって、四角いトランクを手に旅の空――。

 だが、この女性の前では、さすがの寅さんも心が乱れに乱れた。第22作「噂の寅次郎」(78年)の早苗。そして第34作「寅次郎真実一路」(84年)のふじ子。麗しい容姿に罪深いほどの色っぽさ、そして甘くハスキーな声。無意識に男の気を惹くような小悪魔的な雰囲気をまとっていた。

 いずれの役も演じたのは大原麗子。運命のいたずらか、単なる偶然か、第22作の時は俳優・渡瀬恒彦(1944~2017)と、第34作の時は歌手・森進一(75)と離婚した直後だった。演技なのかもしれないが、映画をもう一度見ると、沈鬱な表情が実にリアルに迫ってくる。

 落語界きっての寅さんマニアの立川志らく(60)が、寅さんシリーズのマドンナの中で「一番輝いていて美しい」と絶賛した女優。ビデオリサーチによる「テレビタレントイメージ調査」では、通算13回も人気タレントランキング女性タレントの1位に選ばれた。

 中でも大原のキャラを確立させたのが、1977年から10年間続いたサントリーレッドのCM「少し愛して、長~く愛して」。おちゃめで勝ち気だけど可愛い。あんな女性がそばにいたらなあ、などと鼻の下を長くしたオジサンたちも多かったに違いない。

 ああ、それなのに……。

62歳の孤独死

 その最期は悲しかった。2009年8月6日、東京・世田谷の自宅で冷たくなっていたのを、実弟と成城警察の署員が見つけたという。62歳の孤独死である。

 当時の朝日新聞によると、実はこの3日前、弟から署に「2週間前から姉と連絡が取れない」との通報があった。6日になって弟の都合がつき、同日午後7時すぎに署員とともに大原の自宅に入った。2階寝室のドアを開けたところ、仰向けで倒れていたという。

 大原の自宅は施錠され、外部からの侵入や物色の跡などがないことから、事件性はないと警察は判断した。実弟がのちに報道関係者に明かしたところによると、左目の周りに青いアザのようなものができていた。殴られたのではなく、脳内出血した血液の一部が流れた跡だという。死因は不整脈による脳内出血。死後3日が経っていた。

 大原は90歳を超える母親と一緒に暮らしていたが、当時、母親は施設に入っていたため一人暮らしだったという。

 晩年は病魔との闘いだった。

 47歳の時、乳がんの手術を受け、うつ病にも悩まされていた。さらに、進行性の難病であるギラン・バレー症候群が再発。筋力が驚くほど落ちた。免疫が異変を起こして運動神経を攻撃することが原因とされ、急に手や脚に力が入らなくなり、歩行障害などを引き起こす病気である。

 亡くなる前年の11月、自宅で転び、右手首2カ所を骨折。その際、インターホン越しに涙声で「歩くのがやっとなんです」と取材記者に答えている。

 実弟によると、亡くなった時、携帯電話までは1・5メートルから2メートルほど。だが、そこまで行くことすらできなかったのだろう。

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