デビュー45周年で盛り上がるサザンオールスターズ 「勝手にシンドバッド」はどこが衝撃的だったのか

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

衝撃のデビュー曲

 今年デビュー45周年を迎えたことから、サザンオールスターズ関連の話題が増えている。

 新曲が次々リリースされるほか、9月~10月には「地元」茅ケ崎で4DAYSのライブも開催される予定だ。

 サザンがデビューしたのは1978年。

 デビュー曲は、いまだにライブで最も盛り上がる曲の一つ「勝手にシンドバッド」である。

 この曲について「日本のロックを変えた」といった評は、リアルタイムで聴いた世代にとっては、決して過大な表現ではないだろう。

 が、一方で洋楽ロックよりもJ-POPの方がはるかに巨大市場となった状況しか知らない世代にとっては、何がそんなに凄かったのか、衝撃的だったのか、ピンと来ないにちがいない。

 音楽評論家のスージー鈴木氏は、著書『サザンオールスターズ 1978-1985』で、「勝手にシンドバッド」の魅力を熱く語っている。以下、同書をもとにその革新性を見てみよう(引用はすべて同書より)。

 スージー氏がまず挙げるのは、「日本語のロック」を確立させた、という点である。

「今となっては信じられないが、70年代の半ばまで、『日本語はロックに乗らない』と、真面目に考えられていたのである。そんなつまらない固定観念が、『勝手にシンドバッド』1曲によって、ほぼ完全に抹殺された。『日本人が日本語でロックを歌う』という、今となっては至極(しごく)当たり前な文化を、私たちは享受できるようになった。

 例えば、『早口ボーカル』『巻き舌ボーカル』と言われるほど、日本語を、口腔内を自在に操って発声することが普通になった」

 ここで、ちょっと音楽通ならば「いや、はっぴいえんどがあったじゃないか」などとツッコミを入れるかもしれない。たしかにサザン以前にも「日本語ロック」は存在していたし、素晴らしい作品も生まれてはいた。

 しかし、サザンほどの商業的な成功はおさめていない。「勝手にシンドバッド」はデビュー曲にして、オリコン最高位3位、50万枚という大ヒット曲だったのだ。

ダミ声のルーツは

「勝手にシンドバッド」の衝撃を多面的に分解した場合、スージー氏が最大の要素として指摘するのは、桑田佳祐のボーカルスタイルだ。

 まず「発声」。当時は「しゃがれ声」「ダミ声」とも形容された。一般的にはリトル・フィートのボーカル、ローウェル・ジョージやエリック・クラプトンの影響が指摘されるのだが、スージー氏は、日本人からの影響も見逃せない、という。影響を与えたと思われるボーカリストとして、スージー氏が名を挙げるのは、大瀧詠一、宇崎竜童、柳ジョージだ。

 柳ジョージは、桑田よりもさらにしゃがれた声の持ち主だったが、スージー氏はこんなエピソードを披露する。

「ゴダイゴのミッキー吉野氏から私が直接聞いた話。当時ある歌番組で、ゴダイゴの楽屋を訪ねた桑田から、『柳ジョージさんを紹介してほしい』とお願いされたという(吉野と柳は、伝説のバンド=ザ・ゴールデン・カップスの出身)」

 また、後に「吉田拓郎の唄」を捧げることになる吉田拓郎からの影響も見られる、とスージー氏は分析している。

ショーケンと矢沢

「発声」とは別の「発音」の、革新性も見逃せないという。

 子音を英語的に強調する、つまり「カ」を「クァ」、「タ」を「ツァ」と発音する桑田流は、当時としては珍しい特徴だった。また、母音も「ア・イ・ウ・エ・オ」と発音するのではなく、「アとエの中間」のような音を英語的に発音することも。

 この源流としては、まずザ・テンプターズの萩原健一(ショーケン)が挙げられるという。

「桑田へのインタビュー本『ロックの子』(講談社)では、子供のころに萩原の歌を研究していたとの発言があり、そこに添えられた、ザ・テンプターズの『エメラルドの伝説』の、桑田本人による物まね発音の表記が、実に示唆的である――『♪むィずうみぬィ~きみはむィをぬァげッつあ~』(=湖に君は身を投げた)」

 この発音面ではショーケン以外に大瀧詠一の影響も見られるが、それ以上にキャロル時代の矢沢永吉の影響が見逃せない、という。

「『ロックの子』で桑田は、キャロルの歌を『鼻についちゃったんだよね』とあからさまに否定しているが、否定しているということは意識していたということだ。

 そして桑田は何と、アマチュア時代にキャロルのコピーを披露している。

『勝手にシンドバッド』では、ラ行で舌を巻いているのだが、このあたり、ひどく『矢沢的』である」

 このように見たうえでスージー氏はこう語る。

「(桑田のボーカルは)突然変異的に見えながら、実はここに挙げたような、古今東西の様々なボーカルスタイルをガラガラポンした結果として生まれた、あの声、あの歌い方。それこそが、『革命』を推進するエンジンだったのだ」

「桑田語」の誕生

 さらに見逃せないのは歌詞だ。スージー氏はこう述べている。

「『桑田語』とでも言うべき、とても独創的で斬新な感覚の言葉に溢れている。

 今改めて『勝手にシンドバッド』の歌詞を見ると、その後のサザンの歌詞とは異なり、英語のフレーズがまったく入っていないことに驚く」

 あまりにも有名な「胸さわぎの腰つき」「江の島が見えてきた」といったフレーズ、さらに歌詞カードには載っていない英語のシャウト(「Music Come On Back To Me,Yeah!」と思われる)の秀逸さについて触れたうえで、当時のリスナーの衝撃をこう振り返る。

「私が『勝手にシンドバッド』を初めて聴いたのは、小学6年生の分際で親しんでいた深夜ラジオだった。確か、水曜深夜の『タモリのオールナイトニッポン』ではなかったか。あの歌い方にこの歌詞。邦楽か洋楽かすら分からなかった。そもそも、『何が起こっているのかすら分からない』という感じで、とても混乱したことを憶えている」

聞き逃せないベースライン

 往々にして、サザンについて語られる際にはメロディー、歌詞、ヴォーカルが題材になりがちである。しかし、この曲に関していえば、ベースラインの独特さも魅力となっているというのがスージー氏の分析だ。

「ドラムスがディスコ調で、ひたすら賑やかなのに対して、ベースが4分音符基調で、他の楽器に比べて、比較的ゆったりしているのである(極論すれば4ビート)。その結果、妙に親しみやすい感じを与える。おそらく、曲のテンポを速くするときに、ベースのゆったり感は、そのままキープするという判断があったのだろう。

 これによって生まれるものは、『何が起こっているのかすら分からない』混乱の中で、大衆との遊離を回避する、言わば『ポップの絆』のようなものである。『何が起こっているのかすら分からない』けれど、『何だか楽しくってワクワクするぞ』という感覚が、賑やかな演奏の中の4ビート・ベースより立ち込めるのである」

 当時、スージー氏をはじめこの曲の新しさに熱狂したファンもいる一方で、サザンをコミックバンドのようなものだと捉える向きは少なからず存在していた。まだその新しさは理解されておらず、テレビ番組の中で桑田はワイヤーで吊るされたり、檻に入れられながら歌わされたりするなど、散々な扱われ方をすることもあった。

 人気がどれだけ続くのか、懐疑的な見方を口にする評論家もいたという。

 それから45年、どちらが正しかったのかは明らかだろう。

『サザンオールスターズ 1978-1985』(新潮新書)から一部を引用、再構成。

デイリー新潮編集部

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。