福原愛はなぜ「悲劇のヒロイン」思考を捨てない? 「子どものために」という言葉を多用するワケ

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泣き虫愛ちゃんと呼ばれて……「悲劇のヒロイン」思考のきっかけとなったのは幼少時の「イメージ搾取」?

 ただ広末さんにしろ愛ちゃんにしろ、同情してしまう点は確かにある。それは幼い頃から、天真爛漫な女の子というイメージを過剰に求められ続けてきたことだ。

 広末さんの奇行や、できちゃった婚の背景には、「太り過ぎれば仕事が来なくなる」「子供ができれば仕事を入れられなくなる」という、過度な仕事の量やプレッシャーに対する彼女なりの抵抗だったと後に著書やインタビューで明かしている。

 愛ちゃんもまた、「泣き虫愛ちゃん」というふれこみゆえ、幼い頃は「泣くまでカメラを向け続けられた」そうだ。ウッチャンナンチャンの南原清隆さんも、番組の企画とはいえ、「泣いた愛ちゃんと記念写真を撮る」というミッションをクリアするために、泣かせるまで追い詰めざるを得なかったのが心苦しかったという話をしていた記憶がある。

 大人が求めるイメージどおりに振る舞うよう、強要され続ける。そんな少女時代は、確かに彼女たちが「自分は被害者」と思うのに十分なものだったかもしれない。ただ皮肉なことに、大人になった彼女たちが頼るのは、屈辱感を与えてきた「言うことを聞けば大事にしてやる」というような大人たちでしかなかったといっては言いすぎだろうか。

 批判にさらされ続ける愛ちゃんだが、テレビの仕事から完全引退はしていない。春にTBSの「オールスター感謝祭’23春」に出演した時は大きな反響を呼んだ。もっとも、当時のネットニュース記事では「大手芸能事務所幹部に不倫疑惑を扱わないよう依頼した」などの記述もあった。12月にテレビ東京で放送が決定しているワールドテーブルテニス(WTT)ジャパンのゼネラルマネージャーにも就任しており、とても「社会的弱者」だとは思えない。

ベストマザー賞にもそっぽを向かれた? 「泣き虫アスリート」から「周囲の無理解に耐える母親」イメージにこだわる理由

 日本では有責理由がある場合でも、親権は母親が持つことが多いと指摘されている。母性とか自己犠牲とか、「ママは子どもを守るもの」と神聖視する風潮が根強いのかもしれない。

 だから愛ちゃんも、「子どものために」という言葉を使いたがるのだろう。「不倫疑惑のあるよく泣く元アスリート」では印象が悪いが、「幼い子どもを抱えるワーキングマザー」となれば強くは批判されにくい。元夫の行動も「子どもに配慮のない暴挙」と、父親としての適性のなさを指摘することで、より自分の「周囲から理不尽に攻撃されながらも子どもを守る母親」イメージを強固にできる。

 なお今回真っ先に検索したのが、「ベストマザー賞」受賞歴だったが、意外なことに愛ちゃんは受賞していない。

 今やいわくつきの賞となってしまったが、歴代の顔ぶれよりも支持を得られていないということから考えると、どこまで健気なママというイメージを世間が持っているかはちょっと怪しい。ただ、世間の風当たりが強ければ強いほど「悲劇のヒロインのわたし」思考は強まるのだろう。もっとも、悲劇の渦中にいるのはそれこそ彼女の子どもたち。子どもたちにとって良いスタートとなる判断が下されることを、願わずにはいられない。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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