大川隆法氏の死亡届が提出された日には重要な意味があった…後継者問題にも異変か

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 幸福の科学の本尊である大川隆法氏が亡くなってから2カ月が過ぎようとしている。教団では今も「復活の祈り」が続けられている一方で、大川氏の死亡届が提出されたという。教団は今後どうなるのか、ジャーナリストの藤倉善郎氏がリポートする。

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提出期限を過ぎた死亡届

〈氏名 大川隆法 除籍〉

 幸福の科学の教祖・大川隆法総裁の戸籍謄本には、こうした文字とともに死亡情報が
記載されている。大川氏の長男・宏洋氏が取得した謄本を4月下旬にTwitterに写真で投
稿したが、筆者自身も別の教団関係者ルートで内容に間違いがないことを確認した。

〈【死亡日】令和5年3月2日
【死亡時分】午前8時23分
【死亡地】東京都渋谷区
【届出日】令和5年4月8日〉

 大川氏の訃報後も教団が公式アナウンスをしないまま、2カ月近く。教団機関誌やウェブサイトには大川氏の肩書等が生前のまま掲載され、教団内では信者による「復活の祈り」が行われている。しかし、その裏で死亡届は提出されていた。

 また宗教法人幸福の科学は4月13日付けで、代表役員だった大川総裁について「3月2日死亡」と登記。同日、前日の4月12日付で「代表役員代務者」として、幸福の科学理事長・石川悦男氏が就任したことを登記した。石川氏は野村證券を経て教団職員となり、幸福実現党の党首を務めたこともある。

 大川総裁の死亡届けの日付は、釈迦の誕生日とされる4月8日。教団の元職員が言う。

「大川の誕生日は届出上7月7日ですが、実際はもっと前だったと隆法の実母である君子さんが笑って話してくれたことがあります。教団ではこれを根拠に数字の7を神聖視してきました。“再誕の仏陀”を自称した大川の死亡届を釈迦の誕生日と同じ4月8日に出したことには、誕生日の“設定”と似た宗教的な意図を感じます」

 戸籍法では、死亡から7日以内に届け出なければ5万円以下の科料という罰則がある。3月2日に亡くなっているので、期限はとうに過ぎている。

 死亡届が遅れた理由等について教団広報に問い合わせたところ、「お答え致しません」との回答だった。

天照大神が呪い殺した?

 死去が報道された直後、教団内部では信者へメールや口頭で「総裁は肉体的には亡くなった」と伝えられたとされ、全国の教団施設で「復活の祈り」が開始された。参加料金である「奉納目安」として、支部から一部の信者に「3万円」と記載したメールも届いたようだ。これがネット上で暴露され、「教祖の死を理由に信者からさらに金を取るのか」とばかりに批判された。ある元信者は、「そのせいか、支部からのメール等で金額が明示されなくなっています」と語る。

 死の直前に録音された大川氏の霊言等も、死後、教団施設内で信者に向けて公開された。

「以前は大川総裁の長女・咲也加さんが次期総裁になると言われていました。ところが総裁は今年2月に、それまで彼女の“過去世”としてきた天照大神を“妖怪お多福”に変更しました。そのお多福の霊言が総裁の死後に公開されたのですが、そこにはお多福が総裁を攻撃して呪い殺そうとしていたかのような内容もありました。そのため信者の中には神道の神に反感をあらわにする人も出てきています」(信者)

 神道の神々にしてみれば、とんだとばっちりだろう。

 死後に音声で公開された霊言には、この他に空海、女優の白石麻衣や柴咲コウの霊言などがある。録音当時、大川氏はすでに39度を超える高熱、呼吸困難、心臓の不調を来していた。霊言を聞いた信者は、こうも語る。

「始終、総裁の苦しそうな呼吸音と、シューという酸素吸入か何かのエアー音のようなものが聞こえていたのが気になりました。最後の方の霊言は重病人が息も絶え絶えに話しているようで、聴き取りづらかったですね」

 霊言の録音には、妻の紫央氏も立ち会っている。この時点で病院に行っていなかったのだろうか。

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