栗山英樹監督、気配りの原点は「東海大臨時コーチ」 先輩指導者から得た「聞き流す力」も

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気配りの原点はゴルフコンペの幹事

 冒頭のエピソードでも触れたように、栗山監督といえば気配りの人。強いリーダーシップを発揮してグイグイ引っ張っていくというタイプではないが、

「大谷翔平(28)、ダルビッシュ有(36)などの日本人メジャーリーガーだけでなく、NPBを代表する選手に加え、日系人選手のヌートバーなどメンバーが豪華だっただけに、彼らのプライドには相当、配慮しなければならなかったはず」(スポーツ紙記者)

 と、チーム管理の手腕を高く評価する声は今も続いている。また、侍ジャパンを裏方からサポートしたNPBスタッフの一人によれば、「歴代代表監督のなかでも、もっとも選手を気遣っていた」そうだ。その気配りのルーツは、どうやら東海大臨時コーチ時代にあるらしい。

「年1回、東海大OBが集まってゴルフコンペをします。栗山監督は臨時コーチを務めた縁で、そのコンペの幹事役も買って出ていました。リーダーは東海大グループ校の国際武道大学硬式野球部監督の岩井美樹(よしき)氏。岩井氏の後輩にあたる原監督など、有力者を同じ組に分け、また、彼らに相談があるOBがいたら、さりげなく、食事の席を近くするなど気を配ってくれました」(関係者)

 体育会を中心としたOB会ともなれば個性の強い集まりだけに、相当な気苦労があるかと思われる。しかも栗山監督は東海大出身ではない。が、こうしたコンペの幹事役で、自慢の気配りに磨きがかけられたことも。

 岩井氏には、日本ハムの指揮官時代に色々と相談もしていた。日本ハムは若い選手も多く、「大学=教育、成長の場」ということで、岩井氏の話に聞き入っていたそうだ。

「耳は何で2つあるのかって話になったことがあるそうです。一方は人の話を聞くため、もう一方はいらない話を聞き流して外に出すためだって言われたそうです。栗山監督は笑っていました」(前出・同)

 だが、この「聞き流す」は重要なことだったのかもしれない。今季からの千葉ロッテ監督で、侍ジャパンの投手陣をまとめた吉井理人コーチ(57)とは、日本ハム時代にも「監督-コーチ」の間柄だったが、2012年シーズン終了後、2人は”コンビ解消”を選択した。

 当時、吉井コーチは「監督とうまくいかないで、周りに迷惑をかけることもある」とまで言い、今回の侍ジャパンで”再結成”となったが、栗山監督は決勝戦のダルビッシュから大谷につなぐ継投策以外の投手陣管理はすべて吉井コーチに任せていた。

 オトナ同士だから、かつての衝突を引きずることはしない。表向きにはそうかもしれないが、ファイターズを退団した理由として暗に名指しされたショックは精神的にも大きかったはず。もう一度、コンビを組むことができたのは「いらない話は外に出す」耳の教えを思い出し、リセットすることにしたのだろう。

「吉井コーチに限らず、他のコーチやスタッフから異なる意見が出ても、栗山監督は『全部正しい』と言って、何度も考え直していました。ゲーム展開の戦略を練り直した後、『これで大丈夫かな?』と、改めてコーチ陣に相談していました。短期決戦のWBCで先発投手がすべて好投できたのは、吉井コーチのおかげだとも話していました」(前出・NPBスタッフ)

 いらない話を一方の耳から捨ててリセットできていなければ、先発陣の好投はなかったと言っていい。

 栗山監督は「オレについて来い」のタイプではなく、選手、コーチ、スタッフを含めた全ての関係者が働きやすい環境を作ろうと努めてきた。「代表入りした選手には今大会につながる物語を作るようにした」とも話していたが、案外、野球の監督はリーダーではなく、プロデューサーに徹したほうがうまくいくのかもしれない。

美山和也/スポーツライター
1967年千葉県出身。週刊誌記者を経てフリーに。著書に『プロ野球戦力外通達』(宝島社SUGOI文庫)など。

デイリー新潮編集部

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