「京田陽太」のトレード以前にもあった!監督に嫌われて“放出”された男たち

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「何でテレビなんかに出るのか?」

 中日・京田陽太とDeNA・砂田毅樹の交換トレードが大きな反響を呼んでいる。京田が5月4日のDeNA戦で攻守に精彩を欠き、立浪和義監督から「戦う顔をしていない」と試合中に“強制送還”されたのは、ご存じのとおり。その京田が放出されたのは、立浪監督が恩師・星野仙一氏の“血の入れ替え”にならい、阿部寿樹と楽天・涌井秀章の交換トレードも含めて、チームを劇的に変えようと図ったともいわれるが、その一方で、「やっぱり……」と思ったファンも多いはずだ。【久保田龍雄/ライター】

 過去にも監督と反りが合わず、トレードに出された選手が存在する。監督との確執から、不動の4番でありながら放出の憂き目にあったのが、1969年の中日・江藤慎一である。

 64、65年に2年連続首位打者に輝くなど、セ・リーグを代表する強打者だった江藤は、69年に水原茂監督が就任すると、意思疎通を欠き、しだいに対立を深めていく。

 だが、巨人、東映で優勝9回、日本一5回の実績を持つ水原監督は、中部財閥の重鎮たちが礼を尽くして迎え、球団も実質“永久監督”を保証したいきさつから、選手に対して圧倒的に強い立場にあった。

 そして、両者の間に決定的な亀裂を生じさせる事件が、オールスター期間中に起きる。中日ナインは後半戦の反攻を期して練習に励んでいたが、水原監督は現場の指揮をコーチに一任し、自らはオールスターの解説者としてテレビ出演した。江藤は選手たちの不満を代表する形で「何でテレビなんかに出るのか?」と批判したが、プライドの高い水原監督は、これを反目と受け止めた。

水原監督に土下座するも……

 シーズン終盤になると、江藤はスタメンから外され、代打にも起用されなくなった。これに対し、江藤も「勝つ気があるのか?」などと非難し、事態はますます悪化した。

 4位でシーズンを終えた水原監督は、江藤を放出し、二桁勝利が計算できる投手を獲得することを決めた。江藤の穴は、ドラフト1位の谷沢健一と2人の新外国人で埋めるつもりだった。「天が落ちてきたような衝撃を受けた」という江藤は、水原監督邸を訪ね、土下座して詫び、「中日で終わりたい」と訴えたが、聞き入れられなかった。

 1度はトレードを拒否し、任意引退を選んだ江藤だったが、翌70年6月、社会人時代からの恩師・濃人渉監督が就任したロッテに川畑和人との交換トレードで移籍。同年はチームの優勝に貢献し、71年には史上初の両リーグ首位打者に輝いている。

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