立浪監督、“闘将”とは似て非なる「血の入れ替え」 “強権トレード”が中日に残した禍根とは

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海外視察でほとぼり冷まし?

 発表のタイミングも臆測を呼んだ。いずれのトレードも、立浪監督がドミニカ共和国で行われているウインターリーグを視察中だった。チームに貢献してきた主力が絡むトレードだけに、主導したと言われる立浪監督は最低限の説明責任を負うはずだ。代わりにメディアに対応したのは加藤宏幸球団代表。あえて立浪監督の不在中に発表したようにも映る。

「立浪監督は11月22日に帰国後に初めて記者の前に出てくる時、質問を受けるだろうが、メディアやファンの関心が最も高かった発表当日は避けたことになる」(中日担当記者)

 かつて中日監督だった星野氏は、ロッテの落合博満との1対4の大型トレードの際、放出することになる牛島和彦を自宅に呼び、ネクタイ着用で礼を尽くした上で説得した。そして新幹線で東京に向かう牛島を、名古屋駅まで出向き、見送ったという逸話がある。

「星野さんは選手人生が変わるトレードの重みを理解し、移籍していった選手には再就職を斡旋するなどケアも怠らなかった。インパクトが強いトレード中に、海外でほとぼりを冷ましたように映る立浪監督には、星野さんのような情の厚さは見いだしにくい」(同)

ドラフト戦略に口出し

“闘将”との相違点は他にもある。中日は10月のドラフト会議で2位の明大の村松開人、5位の濱将之介、6位の田中幹也と即戦力の内野手、それも二遊間に偏った指名を行った。これは立浪監督の肝煎りとされ、スカウト陣が当初、構想していた人選とは異なるものになった。

「星野さんはスカウト活動に『チームの10年先を見ろ』と指針を示していた。監督というものは自らの任期中に好結果が欲しいため、即戦力の指名に固執しがちだが、星野さんはそうではなかった。立浪監督はトレードを見据え、早い時期からドラフト戦略に口出しし、即戦力の内野手中心の指名を求めてきたようだ。スカウトたちの士気を下げ、禍根を残すことになるのではないか」(元中日球団職員)

 立浪監督は中日待望の生え抜きスター監督である。京田の横浜から名古屋への強制送還、中村紀洋打撃コーチの2軍降格辺りから独裁が目立ち始め、根尾昂の異例のシーズン中の、野手から投手への転向も周囲が意見する余地はなかったという。

チーム内ではさらなるトレードが囁かれ、選手は戦々恐々だ。強権的な手法は来季の成績で吉と出るか、凶と出るか。

「何をしても許された、ご祝儀の(監督就任)1年目は終わった。立浪監督は既にこれほど自らの色を出した改革をしたのだから、より結果を求められる圧力は増すはずだ」(名古屋の放送局関係者)

 立浪監督は来季が3年契約の2年目とはいえ、今季の低迷から抜け出せなければ進退問題は必至か。

デイリー新潮編集部

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