夏の甲子園でスポーツ紙が前代未聞の見出し 雨に泣かされた悲運のチーム列伝

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グラウンドに投げ込まれた雨傘

 甲子園で初戦から毎試合雨に泣かされたのが、1993年の鹿児島商工(現・樟南)である。

 1回戦の東濃実戦は、開幕直前の8月6日に郷里・鹿児島で死者48名、行方不明者1名を出した“8・6水害”が発生した影響で、応援団が到着しなかった。続く、2回戦の堀越戦は、8回途中降雨コールドゲームとなり、3対0で勝利したものの、試合後の校歌斉唱は中止された。

 そして、3回戦では優勝候補の常総学院を相手に3回までに4得点。2年生エース・福岡真一郎も3回まで1安打無失点の好投を見せたが、4回1死三塁の加点機に雨が激しくなり、82年の日大二対八幡大付(現・九州国際大付)以来11年ぶりの降雨ノーゲームになった。これには、対戦相手の名将・木内幸男監督も「完敗でした。向こうの気持ちを考えると、申し訳ない」と沈痛な表情を見せるほどだった。

 翌日の再試合は、福岡、倉則彦の息詰まる投手戦になったが、0対0の7回、常総学院は金子誠(元日本ハム)の内野安打をきっかけに虎の子の1点を挙げ、1対0で逃げ切った。

 敗色濃厚となった鹿児島商工の9回裏の攻撃中、左翼席からグラウンドに雨傘が投げ込まれた。やってはいけない行為だが、「雨が憎い」というファンの気持ちを代弁しているかのようだった。

 たった1点に泣いた福岡は「仕方ないという感じです。昨日は昨日、今日は今日。点を奪われた7回は、先頭打者を出して、力が入ってしまった。精神的にもっと強くならなければ」と最後まで雨のことは口に出さず、リベンジを誓った。

 そして、翌94年、1年ぶりに甲子園に戻ってきた福岡は、前年の鬱憤を晴らすかのように連日好投し、チームを準優勝に導いている。

大会史上最も不運なチーム

 最後は、2日連続でリードしていた試合がいずれも降雨ノーゲームになるという全国大会では初の珍事の末、再々試合で敗れた“大会史上最も不運なチーム”を紹介する。2009年の如水館である。

 1回戦の高知戦。如水館は1、2回に1点ずつを挙げ、2対0とリードしたが、3回終了後に降雨ノーゲームとなった。

 翌日の再試合も、如水館は1点を追う4回に4点を挙げ、6対3と逆転に成功したが、5回に1点差に迫られたところで試合が中断し、前代未聞の2日連続ノーゲームとなった。

 如水館は、98年夏の専大北上戦でも降雨コールド引き分けの珍事と再試合を体験しているとあって、相次ぐ“水入り”に、選手の一人は「チーム名に『水』が入っているからでしょうかねえ」と冗談めかして言った。

 また、3回に放った2点タイムリー三塁打が幻と消えた有山卓主将は、前年夏に大阪桐蔭の捕手として全国制覇をはたした兄・裕太も、1回戦の日田林工戦が2回途中ノーゲームになり、本塁打が雨に消えていたことから、「(2試合連続ノーゲームは)兄超え?そうですね」と苦笑した。

 そして、翌日の3試合目、如水館は序盤に3点を先行される劣勢をはね返すことができず、公文克彦(現・西武)に14三振を奪われ、3対9で完敗した。

 スポーツ紙の見出しに「3連戦“2勝”1敗」と躍る“不思議な夏”を体験した迫田穆成監督は「敗因は私です。6回1死一、三塁で(タイムリーが出る前に)一塁走者を走らせるのが遅れた。(二、三塁から2点タイムリーで)同点にしていたら……」と悔やみに悔やんだ。
 
 有山主将も「甲子園はちょっとのミスや油断で大量点が入る怖いところ」と運命のいたずらのような敗戦に肩を落としていた。

 今回紹介した3チームは、継続試合が実施されていれば、いずれも勝利していた可能性が強かっただけに、もっと早く導入していれば……と悔やまれる。今夏、甲子園で初めての継続試合が見られるか、どうかも注目したい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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