【追悼】安倍晋三元総理が「32歳の青年」として幸福の絶頂にあった瞬間

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 熱烈な支持者が存在する一方で、国賊のように罵るアンチも多くいた。だからといって、銃撃など許されるはずもない。

 8日、奈良県内で遊説中に暴漢によって命を奪われた安倍晋三元総理(享年67)。

 ここで振り返るのはまだ政治家になる前、若き安倍氏と一族の幸せな頃の光景である。

 1986年、中央に立っているのが32歳の安倍晋三氏だ。右隣に立つのが、「森永製菓社長令嬢」の松崎昭恵さん、24歳。のちの安倍夫人、昭恵さんである。この頃は、電通勤務のOLだった。

 (写真2)は結納をすませた直後の、両家関係者が並んだところでの記念写真である。

 並んでいる中で主な人物を紹介しておくと、左から2番目にいるのが、当時「ニューリーダー」と称されていた父・晋太郎氏である。「政界のプリンス」とも呼ばれて、総理大臣候補の呼び名も高かった。左端、洋子夫人は岸信介元総理の長女でもある。

 右から2人目が松崎昭雄氏、昭恵夫人の父親で、森永製菓創業者の義理の孫にあたる。

 政界のプリンスの次男と財界のサラブレッドのお嬢様との結婚は、安倍晋太郎氏の「閨閥(けいばつ)作り」では、との憶測も呼びかねないものだった。

 しかし、実際は共通の知人を介して知り合い、交際2年を経て晋三氏がプロポーズ、という正真正銘の恋愛結婚だった。

 幸せな気持ちは、写真の安倍氏の目つきの柔らかさからも見て取れる。のちのさまざまな政治的功績や「歴代最長の首相在任日数」等の記録とはまったく無縁な一人の青年として幸福を味わっている瞬間といえるだろう。

 翌年、二人は結婚。晋三氏は、父の急死を経て1993年、衆議院議員となる。

 2度目の総理大臣就任以降、安倍氏はしばしば昭恵夫人の言動を巡って批判を浴びることとなる。が、それで夫人を責めるようなことはなかった。夫人をかばうことでかえって傷口を広げるような局面もあったが、安倍氏の姿勢は変わらなかった。

 夫婦仲の良さについては、支持者ならずアンチも認めるところだった。

デイリー新潮編集部

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