巨人で屈辱の“3軍落ち”から大復活 シーズン中のトレードで開花した3選手

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新天地でリリーフエースに

 大久保同様、ドラ1で入団し、即戦力と期待されながら8年間鳴かず飛ばずだったのに、新天地でリリーフエースになったのが、藤田太陽である。

 藤田は、社会人ナンバー右腕と注目され、2000年のドラフト会議でドラフト1位(逆指名)で指名され、阪神入りを果たした。開幕投手候補にも挙げられたが、キャンプの投げ込み過多で炎症を起こし、1年目は登板3試合、0勝1敗に終わった。

 2年目以降も故障が相次ぎ、1軍では出番が少なかったが、藤田は「誰かが見ていてくれる」と信じて努力を続けた。そんな矢先の09年シーズン中、抑えのグラマンが故障離脱した西武が獲得に動き、7月11日に内野手の水田圭介との交換トレードが成立。この移籍が大きな転機となる。

 8月1日のオリックス戦、8回にリリーフした藤田は3者凡退に抑え、阪神時代の06年8月5日の広島戦以来、1092日ぶりの通算6勝目を挙げた。

 その後、8月12日のロッテ戦でプロ初セーブを挙げたあと、同25日の楽天戦では、阪神時代の恩師・野村克也監督に再会し、「活躍しとるやないか」と褒められた。野村監督は1年目のキャンプ初日にフォームをいじったことを「悪かったなあ」と謝罪したという。

 同年はシーズン終盤には抑えも任されるなど、移籍後の2ヵ月余りで自己最多の25試合に登板し、2勝0敗3セーブ4ホールドを記録。翌年も48試合で6勝、19ホールドを挙げた。

 13年の現役引退に際し、藤田は「泥水を飲んでいる時間のほうが圧倒的に長かったけど、(阪神時代の)初勝利と西武で優勝争いをさせてもらったのは、いい思い出です」と振り返っている。

“8回の男”

 2軍どころか3軍落ちの屈辱まで味わったのに、トレードを機に新天地で復活し、シーズン後にメジャー入りの夢を叶えたのが、沢村拓一である。

 コロナ禍の影響で開幕が3ヵ月遅れた20年、巨人10年目のシーズンを迎えた沢村は、制球に苦しみ、不安定な投球が続く。7月1日のDeNA戦では、1点リードの8回にリリーフも、四球で自滅し、降板直後のベンチで、原辰徳監督から公開説教される様子がテレビカメラに映し出された。

 そして、右肩違和感のサンチェスの代役で先発した7月25日のヤクルト戦でも、4回途中2失点KOと結果を出せず、翌日2軍落ち。さらに2軍戦でも7イニングで10四球と制球難を露呈し、8月11日に3軍降格となった。

 だが、通常のシーズンではあり得なかった9月のトレードが、野球人生を劇的に変える。

 ソフトバンクとV争い中のロッテがリリーフ陣強化のため、沢村獲得に動き、9月11日に香月和也との交換トレードが決まったのだ。同日中に1軍登録され、日本ハム戦の8回にリリーフした沢村は、3者連続三振でチームの勝利に貢献すると、“8回の男”として22試合で0勝2敗1セーブ13ホールド、防御率1.71を記録した。

 ロッテはクライマックス・シリーズでソフトバンクに惜敗し、日本シリーズ進出を逃したが、シーズン中の10月17日に海外FA権を取得した沢村は、翌年2月にレッドソックスと契約した。3軍降格の半年後にメジャー入りという“大出世物語”は、まさしくシーズン途中のトレードの効用と言えるだろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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