外務省「ロシアに不法占拠」と19年ぶりに明記 本当は「南千島」なのになぜ「北方領土」と言い出したのか

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 外務省が今年まとめた「外交青書」に、北方領土について「不法占拠」という言葉が2003年以来、19年ぶり「日本固有の領土」が2011年以来、11年ぶりに明記された。右翼ならずとも、かつては当然の如く使われてきた言葉も、近年「ロシアに配慮」して封印されていた。ここでは「固有の領土」ひいては「北方領土」という表現を考えたい。(粟野仁雄/ジャーナリスト)

「固有の領土」とは?

「不法占拠」とは、日ソ不可侵条約(1941年)が有効だったにもかかわらず、1945年夏、ソ連が一方的に破棄して日本に侵攻したことや大西洋憲章の領土不拡大に反するなど国際条約違反を指す。一方「固有の領土」とはわかったような、わからないような表現だ。英語は「inherent」。NHKのロシア語ニュースを読むと「固有の」の部分は「ニアトゥイェムリェムイ」と発音しにくい単語だが、「固有の」というロシア語は「inherent」に近い意味の別の単語があり、これは『ロシヤ語小辞典』(大学書林)によれば「奪うべからざる」「引き離しがたい」などの意。日本政府は「固有の」を「いまだかつて日本以外の他国の領土になったことはない」との意味で使っている。

 歴史を振り返る。日本とロシア間との領土史といえばまず、学校教科書にも出てくる「日露和親条約」である。1855年2月7日、ロシア帝国のプチャーチン提督と勘定奉行川路聖謨(としあきら)の間で、現在の静岡県下田市で調印され「下田条約」ともいう。「(千島列島の)得撫(うるっぷ)島以北をロシア領、択捉(えとろふ)島以南を日本領、樺太(サハリン島)は日露混住の地」とされた。そして、この日が「北方領土の日」で、日本側の言う「固有の領土」の1つの根拠ともなる条約である。

 1875年には特命全権大使榎本武揚(たけあき)とロシア帝国のゴルチャコフ外相との間で「樺太千島交換条約」が締結され、「千島列島は日本領、樺太はロシア領」となった。これも教科書でお馴染み。この条約では千島列島として最北の占守島から得撫島まで、18島が列挙されるが、ここに4島がないことも「固有の領土」の根拠である。日本は1904年の日露戦争の勝利でロシアに樺太の南半分を割譲させたものの1945年、第二次大戦に敗戦した。

 千島に先住していたのは和人ではなくアイヌなどである。「固有」というなら様々な歴史を考えなくてはならない(先住者については『北方領土の基礎知識』〈郷岡健・黒岩幸子共著 東洋書店新社〉の黒岩氏の記述を参照されたい)。経営コンサルタント大前研一氏は「北方領土が日本固有の領土などと証明されたことは一度もない」「北方領土はわが国固有の領土、などとナショナリズムを煽る誤ったプロパガンダで国民世論を先導してきた」と過去の政府対応を批判する。

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