宮内庁は小室さん側の身元調査を行ったのか? 雅子さまの時はどうだったのか?

国内 社会 2021年10月11日

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興信所に依頼し、4代前までさかのぼって

 「外務省キャリアの小和田雅子さん(現在の皇后さま)」がお妃候補として浮上したのは早い段階だった。

「1986年から87年にかけてだったと思いますが、雅子さんはかなり有力でした。興信所に依頼し、4代前までさかのぼって調査したと聞いています。両親や本人には尾行がつくほどで、表に出てこない普段の生活ぶりや近所との関係などまで細かなことまで洗いざらいというレベルだったと言います」

 調査自体はクリアしたかに見えた。しかし、期せずハードルがあった。雅子さまの母方の祖父は興銀マンだったが、水俣病の加害企業・チッソに派遣され、社長、会長を務めた経歴が問題視されたのだ。その手の怪文書が出回り、「ふさわしくないのでは?」と疑義を呈する声が宮内庁内からも上がり、いったん候補から消える。

 雅子さまと皇太子さまが再会するのは、それから5年の歳月が流れた1992年夏。この間もお妃候補選びは続けられていた。どんなふうに進められたのか?

「様々なルートからピックアップされた女性について、宮内庁の皇太子さま担当である東宮の最高幹部が選別するところから始まるそうです。ルートについては元皇族、旧華族、学習院のご学友などのネットワークを頼っていました。もちろん両陛下(現在の上皇・上皇后両陛下)の繋がりもあります。絞り込まれた候補は150とも200人とも聞きましたが、みんな同様に興信所に依頼し、4代前までさかのぼって調査したそうです」

もう少し慎重さがあったなら

 その中から話が具体的に進んだケースもあったという。しかし、事前の興信所の調査をかいくぐった問題が露見したり、そもそも相手の女性に別の意中の人がいたり、皇太子さまが乗り気でなかったりということがあり、話は振り出しに戻ってしまった。

「婚約まで一歩手前とまでは言わないものの、三歩手前くらいのレベルまで至ったものもあったそうです。それでもまとまらなかったのは、皇太子さまの胸中にはずっと雅子さまの存在があったということのようですね」

 この元記者が言うように、皇室に入られる方と出て行かれる方とでは話が違ってくるし、出て行かれる方の結婚を国家的事業と捉えるのは宮内庁としても負担が大きいだろう。ただ、言うまでもなく眞子さまは将来の天皇陛下の姉君となられる立場。宮内庁側にもう少し慎重さがあったなら……と考える国民は少なくないはずだ。

デイリー新潮取材班

2021年10月11日掲載

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