浅田美代子が「寺内貫太郎一家」秘話を語る 西城秀樹を骨折させファンから脅迫状が

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 数々の名曲を生み出す一方、坊主頭に丸眼鏡、でっぷりと出たお腹で人気を博し、ドラマやCMでも大活躍。故・小林亜星は「マルチタレント」のはしりにして代表格であった。その姿をお茶の間に焼き付けたのが、「寺内貫太郎一家」。共演者2名が名ドラマの秘話を語る。

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 小林亜星が世を去ったのは、5月30日のこと。自宅で心不全を起こし、緊急搬送されたが、そのまま息を引き取ったという。

「最後にお声を聞いたのは、今年の1月でしたね」

 と故人を偲ぶのは、女優の浅田美代子(65)である。

「今年は向田邦子さんの没後40年に当たり、それを記念する舞台公演があって私も出演しました。その名も『寺内貫太郎33回忌』。貫太郎が亡くなった後の寺内家を描いたもので、コロナのために映像配信になってしまったのですが、亜星さんも“あの世から”という設定で声だけ出演しました。“うるせぇ!!”という怒鳴り声は変わりなかったし、録りにいったプロデューサーさんも“お元気でしたよ”と言っていましたから、まさかこんなことになるとは思わなかったんです」

 小林亜星は1932年、東京で生まれた。父は逓信省の官僚、祖父は医師という恵まれた家庭に育ち、慶応大の医学部に入学したが、音楽に熱中して転部。卒業後程なく作曲の道へ進み、生涯で生み出した曲は実に5千曲以上。CMソングでは、日立製作所「この木なんの木」、サントリー「人間みな兄弟(夜がくる)」、アニメソングでは「魔法使いサリー」「ユカイツーカイ怪物くん!」、演歌にも幅を広げ、都はるみ「北の宿から」など、日本人の多くが口ずさめる曲を数多く生み出した「国民的作曲家」のひとりである。

 そして何より、小林の名と姿を有名にしたのは、俳優としての活躍だ。

 デビューは74年の「寺内貫太郎一家」(TBS)。東京・谷中で3代続く石材店「石貫」の当主役である。母、妻、長女、長男、そして「お手伝い」からなる「貫太郎一家」を、それぞれ樹木希林(当時の芸名は悠木千帆)、加藤治子、梶芽衣子、西城秀樹、浅田美代子といった名優、個性派俳優が演じた。妻子ある男性と付き合う長女、反抗的な浪人生の長男を軸に、家族のドタバタを描いた人情喜劇である。

 脚本は向田邦子、プロデュース・演出は久世光彦の名コンビが手掛け、脇役に、伴淳三郎、左とん平、由利徹などの芸達者が顔を揃えた。何より体重100キロを超す巨躯で家族を怒鳴り散らし、時には鉄拳を振るう一方、人情に篤い貫太郎のキャラクターは小林の「はまり役」で、当時ですら忘れられかけていた日本の「カミナリ親父」をお茶の間に呼び戻して大反響を呼んだ。平均視聴率は31%を記録したのである。

大事なところを…

「亜星さんが出られると伺った時は、あれほど名のある作曲家の方が、よく受けられたな、と驚いた記憶があります」

 と浅田が振り返る。

 彼の起用までに紆余曲折があったのは、知る人ぞ知る話。貫太郎役の条件は「太った人」。役者を選ぶに当たり久世が考えたのが、まずはフランキー堺、続いて高木ブーだったという。が、いずれも多忙で断られ、白羽の矢が立ったのが、ドラマの作曲などで縁があった小林亜星。

 しかし、当時の小林は長髪で、「あんなスケベそうな人」と、向田が難色を示した。そこで久世が理髪店で小林を丸坊主にし、石材店の法被を着せると、向田は途端に「これが貫太郎よ」。即起用が決まったという。

 が、演技はずぶの素人だ。

 浅田が言う。

「はじめのうちはぎこちなく、本人も苦労していたように見受けられました。でも、不思議ですよね、回数をこなしていくうちに、“あっ、あれが貫太郎だ”と私自身も思えるようになってきた。役と亜星さんのキャラクターがどんどん近づき、一体化していった感じ。撮影の合間、そのままの格好でお昼を食べに出るんです。すると、サラリーマンから“お、貫太郎!”と声を掛けられる。亜星さんも“おぅっ”と軽く受け流すんですが、それがまさに貫太郎で、もうなりきっていましたね」

 役者経験のなさという点で言えば、むしろ周囲が戸惑ったのは、名物の「ちゃぶ台返し」のシーンであったという。「寺内貫太郎一家」では、毎回必ず、親子喧嘩のシーンがあった。一家揃って食事の最中、貫太郎と西城演じる長男が激突。怒った貫太郎が息子を投げ飛ばし、長男も応戦する。ちゃぶ台がひっくり返り、ご飯やみそ汁が宙を飛び、止めようとする妻や、お手伝いの浅田も吹っ飛ばされる。各話の山場で名物シーンであったが、

「役者さんなら、乱闘シーンで手加減して……となるのですが、亜星さんにはそれがない。それにこのシーン、向田さんの脚本には、『つかみかかる』『殴りかかる』くらいしか書かれていません。ですから、どう乱闘するのかはアドリブ。しかも、一度やると箪笥の上から物が落ちたり、障子が破れたりするので、やり直しとなると大変。事実上、NGは出せないんです。そんなこともあってか、亜星さんはいつも本気で投げ飛ばすから、終わるとみんなアザだらけでした。それに亜星さんは太っているでしょ。終わるといつも汗だくで、着物の袖や手ぬぐいで汗を拭って……。それが見ていて可笑しかった」

 相手役の西城は当時、人気絶頂のアイドル。あまりにスケジュールが過密で食事をとる暇もなく、「寺貫」の食事シーンで実際に料理を口にし、空腹を満たしていたという。そんなトップスターを毎週本気でぶん投げるため、一部のファンは激怒。小林の事務所には、50~60通の苦情の手紙が来た。中には「お前の大事なところを引っこ抜くぞ」という“脅迫文”まであったという。

「“アイドルのファンていうのは怖え~な~”とこぼしていましたよ。もちろん乱闘後は素に戻り、秀樹に“ごめんごめん、痛かったか”と心配そうに声をかけていましたし、私にも“美代ちゃん大丈夫だったか。痛かったか。ごめん”と平身低頭、平謝り」

 こうして毎回くんずほぐれつを繰り返していただけに、役者同士の絆もまた強かった。

「当時は、3日リハーサルで本番は2日。それを全39回、つまり10カ月続けました。週に5日も一緒にいるものですから、本当に『家族』のようなものでしたね」

 しかも、向田は遅筆で有名。台本が来るのを待つから、いきおい一緒にいる時間は長くなったという。

「楽屋は大部屋でみんな一緒。男軍団の部屋と、女軍団の部屋がカーテンで間仕切りされていました。男軍団にいたのが、亜星さん、秀樹、伴淳さん、とん平さん、由利さんとか。彼らが待ち時間に話していたのは、エッチな話。当時、まだ秀樹は10代でしたが、彼にみんなで余計なことを教えてるんですよ。秀樹はずいぶん勉強になったんじゃないかなあ。笑い声とかが聞こえてくると、私は女軍団の治子さんや希林さんに“またあの人たちエッチな話してんのよ。美代ちゃん、あっち行っちゃ駄目よ”とたしなめられた思い出があります」

 楽屋での振る舞いも、一家の当主たる堂々としたものだったとか。

「合間になると、一人大の字になって昼寝をしていましたね。“グオ~~”という鼾(いびき)が聞こえる度に、みんなヒソヒソ声で“また寝ているよ”って」

 現場でも盛り上げ役の一人。

「当時、亜星さんは40そこそこで、奥さん役の加藤治子さんは50過ぎ。で、“本当は加藤さんの方が年上なのに、見た目は俺の方が上なんだよ。俺は老けて見えるから”って口を尖らせてみんなを笑わせていました。そうかと思えば、希林さんが亜星さんを見て私たちに“太っているわね~本当に肥えているわね~あれ身体に悪いわよ~”と言って笑わせたり。視聴率で良い数字が出ると亜星さんは“おぅー!”と声を上げながら相好を崩されていました。亜星さんの周りはいつも明るかった……」

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