ボクシング「メダル3個」の功労者はウズベキスタン人コーチ その仕掛け人は「男・山根」だった

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山根会長が招聘

 ほかにこんな声もある。

「2年前の理事会で、連盟の公益法人化以上に東京オリンピックの強化を重点的にやってほしいという発言に対して、現会長は『東京オリンピックなんてどうでもいいんですよ』と3回くらい言った。あの時の憤りは決して忘れません」

 山根おろしの時の騒動を思えば理解しがたいが、「こんなことなら、山根会長の方がずっと良かった」という声さえ聞こえてくる。

 現段階でまだあまり名前が報じられていないが、金メダルを含む3個のメダル獲得の陰の立役者のひとりがウラジミール・シン・コーチであることはボクシング関係者なら誰もが認める。シン・コーチは旧ソ連時代の国家代表選手であり、世界チャンピオンでもある。引退後は名伯楽として世界に名前を知られる存在。5年前のリオ五輪ではウズベキスタンの監督を務め、金メダル3個を含む7個のメダルをもたらした実績の持ち主だ。そのシン・コーチが東京五輪に向けて日本の強化コーチに就任してくれたことは驚きに値する。「強化策の骨格はこれで出来た」といえるほどの人事だ。シン・コーチを支えるのは1999年にウズベキスタンにコーチ留学の経験がある本(もと)博国強化委員長。シン・コーチは留学に際して後ろ盾になってくれた存在で、二人の絆は深い。ロシア語で会話ができる本強化委員長がいたから、国を離れて日本で暮らすシン・コーチも指導力を発揮できたと周囲は理解している。よくぞウズベキスタンは日本にそんな大切な指導者を譲ってくれたものだ。このシン・コーチを日本に招聘したのは誰なのか? それは、当時の会長である山根明氏だという。

「シンとはアジア連盟の役員をやっている時からの付き合いでね。お互い先祖のルーツが同じだったこともあって親しくなって、義兄弟の契りを結んでおるんです。もう亡くなりましたが、シンのお父さんに会って食事したこともあります。そんな縁があったからね、東京オリンピックでメダルを獲るために日本に来て指導してくれないかと頼んだんです。シンはね、兄貴のためならと引き受けてくれたのです。ゼニカネの問題じゃないですよ」

 話してくれたのは、日本ボクシング連盟12代会長の山根明氏だ。山根氏は、試合前後に撮影したシン・コーチと入江選手の練習風景、並木選手と並んでメダル獲得を喜ぶ記念写真を見せてくれた。誰かが山根氏にすぐ送ってくれたのだろう。好々爺のようなシン・コーチと両選手が信頼しあい、一緒に練習に取り組むことを心から喜んでいる様子が伝わってくる。

 山根会長時代、女子の強化をしなかったとする冒頭の新聞記事には事実誤認がある。入江聖奈選手が金メダルを獲った翌日の公式記者会見で言った。

「まだ中学生、アンダージュニアのころから合宿に呼んでいただけたことが、競技力向上につながりました」

 いま大学3年生の入江選手が中学生ということは、少なくても6年以上前、山根会長時代の話だ。そのころから連盟は間違いなく女子の強化を進めていた。

 現首脳たちは、意図的に報道さえ操作しようとしているのか。メダルの成果を政争の具に利用され、新たな独裁的体制の追風にされるのは歓迎できない。今後きちんと見つめる必要がある。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

デイリー新潮取材班編集

2021年8月5日掲載

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