「アウン・サン・スー・チー大勝」が暗示するミャンマー「4分の3の民主主義」の落とし穴

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 2020年11月8日、ミャンマーで総選挙が実施された。アメリカ大統領選挙の帰趨に世界が注目していたころだ。その分ミャンマーの総選挙への注目は高くはなかったが、ミャンマーにとっては5年に1度の大きな政治イベントである。二院制の連邦議会と、14ある地方議会とを合わせた1117議席が争われた。

赤が圧勝したミャンマー総選挙

 アメリカ大統領選挙では赤のイメージカラーである共和党が僅差で敗れたようだが、ミャンマーでは赤をイメージカラーとする政党が大勝した。アウン・サン・スー・チーが議長を務める「国民民主連盟(NLD)」である。

 NLDは二院制の連邦議会で、上院選挙では138議席(争われた161選挙区の86%)、下院選挙では258議席(争われた315選挙区の82%)、合計396議席を獲得した。2015年の前回の総選挙で上下院合わせて390議席(上院135、下院255)を獲得しており、今回は前回を6議席上回る結果となった。2度目の大勝である。

 選挙プロセスでの大きな不正はいまのところ報告されていない。2018年のカンボジアの選挙のように、投票前に野党が解党されるといった政府による露骨な選挙妨害もなかった。紛争を理由に投票が実施されなかったラカイン州北部の選挙区がNLDの弱い地域であったことから、選挙管理委員会に批判が集まったが、仮に投票が実現していても選挙の大局に影響するものではなかっただろう。

 概して、自由で公正な選挙の結果だったと言えそうだ。

国軍の代表議員が定数の4分の1を占める

 今回の総選挙の背景をおさえておきたい。

 ミャンマーの議会政治は「4分の3の民主主義」である。

 連邦議会、地方議会それぞれの議員定数の4分の1を国軍の代表議員が占めている。彼らは国軍最高司令官の「推薦」を通じて就任する現役軍人たちだ。選挙で勝つ必要はなく、任期も固定されていないので、人事異動もする。いわば、国軍司令官の手足である。

 選挙で争われるのは、この4分の1の国軍代表議員を除いた全議席の4分の3である。どれだけ選挙で勝っても、文民政権の議会での権力基盤は最大でこの数になる。「4分の3の民主主義」と筆者が呼ぶ理由だ。

 当然のことながら、この条件下では、議会で単独与党になるためのハードルが高くなる。ひとつの政党が過半数を確保するには、全選挙区の3分の2で勝つことが必要になるからだ。

 今回の選挙でNLDは、争われた選挙区の8割以上で議席を獲得したため、来年3月からはじまる新しい議会で、単独過半数で政権を擁立することができる。3月末には第2次スー・チー政権が発足する見込みだ。

絶大なスー・チー人気が生んだ大勝

 なぜ、スー・チーは勝ったのか。この5年間の実績を有権者が支持したからだろうか。

 スー・チーが2016年に政権を樹立した際に、重要な政権課題として「和平」、「憲法改正」、「生活水準の向上」を掲げた。このうち、少数民族武装勢力との和平、民主化を進める憲法改正は、ともに進展しなかった。

 大臣の削減、汚職対策、地方自治機関の移管、村落自治制度の改正、海外投資関連法の整備、投資促進計画の策定など、新たな取り組みを示してはいるものの、期待されたほど成果は上がっていない。期待が高すぎたとも言えるかもしれない。

 2017年には、ミャンマー西部のラカイン州から、70万人のイスラム系少数民族ロヒンギャが難民として隣国バングラデシュに逃れた。欧米諸国とムスリム諸国からスー・チー批判が巻き起こり、スー・チーは世界的な人権の象徴という社会的なイメージをほぼ失った。

 それでもスー・チーとNLDは選挙に勝ったのである。なぜだろうか。

 スー・チーの人気が絶大であることはどれだけ強調してもし過ぎることはない。1988年から20年以上、軍事政権に対して非暴力闘争を続けてきたカリスマの人気は、5年間の政権運営の実績がどうあっても、簡単に揺らぐものではなかった。

 ロヒンギャ問題を巡って国連や欧米諸国を中心にスー・チー批判が広がっても、国内世論はその影響を受けなかった。国際社会の批判に対する反動でより支持が強くなった可能性もある。

 このスー・チーのカリスマがもたらした効果は、世論調査でも確認ができる。アジア広域で世論調査を行っている「アジア・バロメーター」によると、ミャンマーにおける政治制度(裁判所、警察、政党、議会、軍隊、連邦政府、公務員、地方政府、大統領、地方行政)に対する信頼について、2015年と2019年を比較すると、すべての点で大幅な上昇が見られる。政権の実績とは関係なく、スー・チーとNLDが政権に就いたことで、政府全体に対する有権者の信頼が高まったと言ってよい

高まったNLDの組織力

 前テイン・セイン政権は軍事政権の後継政党である「連邦団結発展党(USDP)」が与党だったこともあり、多くの人々はまだ政党組織に対して警戒感を持っていた。

 筆者自身、前回選挙時に与党、野党それぞれの選挙キャンペーンに帯同する機会があったが、当時の与党関係者から睨まれることを警戒して、NLDとの接触を恐れる人が村落部にはまだまだいた。

 2016年に政権与党となったことで、NLDの党勢は増したと言える。議員間の個人差はあるが、各議員と選挙区の有権者との距離は縮まった。議員に割り当てられた開発予算で地元への利益還元も可能になった。NLDは与党の立場で有利に選挙戦を進めることができたのである。

 また、前回の総選挙よりも有権者が自由に投票先を選べる社会的な雰囲気が、この5年間で醸成された。正式な発表はまだだが、投票率は5年前の69%を大きく上回ったと選挙管理委員会が発表している。

 新型コロナウイルスの感染が増えるなか(ミャンマーの新型コロナウイルス感染者数は11月16日時点で約1万5000人)での投票で、野党から投票日の延期を求める声もあがっていたが、感染の不安のなかでも、多くの有権者が選挙に関心を持ち、投票所に向かったのだ。

露呈した野党の弱さ

 有力な野党が現れなかったこともNLDに有利に働いた。

 今回の総選挙で全国に候補を出すことができた政党は、NLDの他に民政移管後のテイン・セイン政権党であったUSDPと、新しい政党として元USDP議長が設立した「連邦改善党(UBP)」だけである。それらに加えて、元NLD所属の議員が党首を務める「人民開拓者党(PPP)」が都市部中心に400人ほど候補者を擁立した。この4党による争いだった。

 野党は、有権者のスー・チー政権に対する失望を味方につけたいところだったが、結果は無残なものだった。

 USDPは両院合わせて41から33に議席を減らした。軍事政権の後継政党というイメージを変えられず、テイン・セイン元大統領に代わる党の顔が生み出せなかったことが響いた。幹部に元国軍将校が居座っていては、組織力はあっても、票は得られない。このままでは今後も同党が復活する見込みはない。

 他の2党については、1議席も獲得できなかった。UBPは保守系政党である点でUSDPと支持層が重なったため、票を食い合うことになったものと予想される。PPPは都市部中間層の支持を得たかったが、NLDとの違いを示すことができなかった。

 スー・チーに不満を抱くのは都市部のエリート層に多いが、別の有力な投票先が見つからないことがNLDの得票を助けたところは大いにあるだろう。

 加えて、選挙制度が小選挙区であるため、死票が多く出て、第1党は得票率以上の議席占有率が得られる。新興の野党には不利な制度で、これも野党に敗北をもたらす要因になった。NLDの得票率はまだ正式に発表されていないが、おそらく6割程度だろう。6割の票で約8割の議席を獲得したものと思われる。

悪くない経済

 スー・チー政権に対する不満はビジネス界にも目立つ。

 2017年に行われた企業経営者向けの調査では、前政権に比べてミャンマー経済の先行きについて悲観的な見方が増えていた。

 スー・チーは民主化という特定の争点で政権を獲得したところがあり、その経済運営を不安視する声は強かった。閣僚の顔ぶれを見ても、経験不足は明らかだった。

 和平や憲法改正が行き詰まり、ロヒンギャ問題でミャンマーに対して国際的な圧力がかかると、スー・チーは経済に重心をシフトさせる。タウン・トゥン投資・対外経済関係大臣や、セッ・アウン財務省副大臣といった実務上の経済運営に長けた人物を頼るようになっていく。ちなみに、セッ・アウン氏は、ヤンゴン郊外に日本が主導して建設したティラワ経済特区の開発に、ミャンマー政府関係者として尽力した人物である。

 世界銀行が発表している経済成長率を見ると、スー・チー政権時代の数字は決して悪くはない。2016年から2018年平均で5.6%と、前政権での年平均成長率6%と比べると低下しているが、ベトナムと同じ数字で、東南アジアでは上位に入る。悲観するような数字ではないだろう。海外直接投資も、2015年をピークに2017年まで低下したが、2018年から再び増加傾向に転じた。

 市民の経済認識についても、前述の「アジア・バロメーター」によれば、2015年と2019年に大きな違いはなく、将来の経済的な展望について肯定的な印象が78%から70%に低下した程度で、楽観的である傾向に変わりはない。経営者層と一般市民との間には経済状況に関する認識のギャップがあるようだ。

 この悪くない経済が、与党の得票を助けたと言える。

ポスト・スー・チーという不安

 最後に、NLDの2度目の大勝が暗示する不安について記しておこう。

 今回の勝利で、政権運営そのものよりも、スー・チーという存在がいかに選挙では重要であるかが、あらためてはっきりした。スー・チーが健在である限り、NLDが政権党の座を失うことはなさそうだ。

 だが、スー・チーもすでに75歳。次の総選挙では80歳となる。彼女のカリスマ性で大勝した分、不在となったときに一体何が起きるのか予想できない。そんなことは誰でも分かるので、党内で後継者を誰にするかという議論もあってよいはずだが、ポスト・スー・チーの指導者候補がいまだに見えない。

 有力候補と見られていたヤンゴン管区のピョー・ミン・テイン首相は、今回の選挙には立候補せず、後継者争いから外れたと見られている。党の序列で言えば、大統領であるウィン・ミンが後継者になるはずだが、彼も69歳と若くはなく、党をまとめきれるかどうかは未知数だ。

予想ほど伸びなかった少数民族政党

 次の不安は、少数民族の動向である。

 ミャンマーは多民族国家で、今回の総選挙でも多くの少数民族政党が候補者を擁立した。NLDとUSDPに続いて議席を獲得したのは、「シャン民族民主連盟(SNLD)」と、「ラカイン民族党(ANP)」、「パラウン民族党(TNP)」、「モン統一党(MUP)」といった少数民族政党であった。

 ANPの牙城である北部ラカイン州で選挙が行われなかったため、少数民族政党全体の議席獲得数は前回と大きく変わらなかったが、MUPのように、前回NLDが勝った選挙区で議席を獲得した少数民族政党もある。

 とはいえ、少数民族政党が躍進するのではないかという選挙前の予想と比べると、その伸びは低かった。

 理由ははっきりとは分からないが、少数民族政党の組織力がまだ弱いということがあるのかもしれない。2011年から民主化が進んだ結果として、少数民族の権利を求める動きが活発化しているのは間違いないが、それを議会につなげる役割を果たす人材と組織がまだ不足しているということだろう。     

 主にラカイン州で活発に活動しているアラカン軍のように、武装闘争路線を取り、しかも、地元の人々から支持を受けているような地域もある。

 スー・チーのカリスマ性が影響力を持つのは、多数民族であるビルマ族の仏教徒が中心であるため、スー・チー政権が続くことで、少数民族の民族主義的な動きが、議会ではなく、直接的な暴力を通じて活発化する可能性もある。

NLDの大勝に警戒を強める国軍

 最後の不安は、国軍である。

 ミャンマーの「4分の3の民主主義」が終わるかどうかは国軍次第だ。憲法改正には議員の4分の3を超える賛成が必要で、国軍代表議員が反対する限り、憲法の改正は絶対にない。

 では、今回のNLDの大勝が国軍を動かし、憲法改正、なかでもより民主的な体制への移行を認めるのかというと、そうはならないだろう。国軍が政治への関与を正当化する最大の理由は内戦である。選挙結果がどうあっても、内戦の終結がない限り、国軍の政治関与は終わることはない。

 スー・チーが進める和平交渉は明らかに行き詰まっており、仮に停戦が合意されても、そこから武装解除や政治過程への包摂など、先はまだ長い。

 また、国軍には伝統的に民主主義に対する不信がある。国軍にとって、民主主義は党派争いであり、国家全体の利益を無視したものにみえる。スー・チーのカリスマでもたらされたNLDの勝利は、まさに特定の党派が勝利した状態に見えるだろう。つまり、NLDが大勝すればするほど国軍は警戒を強めるため、政治関与を後退させる動機にはなりそうにない。

第2次政権の安定を握る「経済」

 子供がイギリス籍を持つスー・チーは、憲法の規定で大統領資格を欠くため、国家顧問に再び就任する見込みだ。議会の解散権はなく、NLDが分裂するようなことがない限り、2025年までスー・チー主導のNLD政権が続く。

 第1次政権で積み残した課題が少しでも解決に向かうかどうかが注目点だが、国軍との調整が必要な憲法改正と和平は容易には進まないだろう。外交も、ロヒンギャ問題のために、特に欧米とムスリム諸国から厳しい目を向けられる。

 そうなると、政権の安定を握る鍵は経済になる。新型コロナウイルス感染拡大による経済の落ち込みを一時的なものにとどめ、再び5%を超える成長をもたらすことができるのか。経済重視にシフトしつつあるスー・チー政権には、より積極的に政策を打ち出し、スピード感を持って実施に移すことが求められている。

中西嘉宏
中西嘉宏 京都大学 東南アジア地域研究研究所准教授 。1977年 兵庫県生まれ。東北大学法学部卒、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士(地域研究)。日本貿易振興機構・アジア経済研究所研究員を経て、2013年から現職(2017年に東南アジア研究所から東南アジア地域研究研究所に改組)。ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際関係大学院客員研究員、ヤンゴン大学客員教授などを務めた。
著書に『軍政ビルマの権力構造―ネー・ウィン体制下の国家と軍隊1962‐1988 』(2009年、京都大学学術出版会)、『ミャンマー2015年総選挙-アウンサンスーチー新政権はいかに誕生したのか』(2016年、共著、アジア経済研究所)、『ロヒンギャ危機-「民族浄化」の真相』(近刊、中公新書)がある。

Foresight 2020年11月25日掲載

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