新人王当確の広島「森下暢仁投手」 内野手としてプロが狙っていた過去をご存じか

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野球センスが高い評価

 かくして甲子園行きをかけて最後の夏を迎えることに。実はこの時点でも、本人は“投”ではなく“打”に力を入れていた。本人的にはエースとして抑えなければならないという気持ちはあったものの、前年の夏は前述のように打てずに負けてしまったこともあり、「打たれても、それ以上に得点を取れば勝てる」と思ってバッティングのことばかり考えていたという。その甲斐があったのか、迎えた3年生最後の夏の大分県予選でバットは好調であった。初戦となった2回戦の別府青山・翔青戦は3打数ノーヒット、3回戦の大分高専戦は4打数2安打、準々決勝の佐伯鶴城戦は4打数1安打、準決勝の杵築戦は3打数2安打でしかも盗塁一つも決めている。

 そして決勝戦の明豊戦は3打数1安打だった。初戦こそノーヒットだったものの、残り4試合ではすべてでヒットを放ち、5試合で打率3割5分3厘をマークしたのだ。しかし、それ以上の投手としての結果を残した。まず注目したいのは、県予選の初戦となる別府青山・翔青戦である。6月に行われた神奈川県の強豪・東海大相模との練習試合で146キロのストレートを武器に10奪三振と好投したこともあり、この試合にはプロ野球8球団のスカウトが視察に訪れた。彼らが見守るなか、当時の自身最速タイとなる148キロをマークしたのである。結果的にこの夏の予選全5試合に先発し、42回を投げ、被安打21、与四死球6、21奪三振、4失点という見事な成績を残した。宿敵・明豊相手に9回を投げ、被安打6、与四死球1、4奪三振の力投をみせたものの、0-1で敗れた。甲子園へのラストチャンスに向けて打力を磨いたハズが、最後は打てずに敗れるという皮肉な幕切れとなってしまったが、圧巻のピッチングで投手・森下の評価が一気に急騰した。

 それでも、その右打席から柔らかいスイングで鋭い打球を弾き返すバッティング力も捨てがたいという球団があった。走っても50メートル6・2秒という脚力を誇っている。要は運動能力が抜群なのだ。そのため、15年当時のドラフト関係の書籍や記事を見返すと、ショートとして獲得しようとした球団もあったという。当時の各球団のスカウト評をみてみると「投手経験が短い中で、これだけ投げられるのだから末恐ろしい」というように投手としての才能が高評価されるなかで、「高校生では3本の指に入る選手と聞いている。バランスのいい投手。センスが高い。打撃もいいんでしょ? 楽しみだね」「センスが抜群。全てにおいてレベルが高い」と森下自身が持つ野球センスが高い評価を受けていたのである。

 3年秋にはドラフト上位候補としてかなりの注目度を浴びたが、プロ志望届を提出せずに東京六大学の雄・明治大へ進学することに。そして大学では投手1本で勝負することを決断したのである。その明治大では4年間のリーグ戦で15勝12敗、255奪三振、防御率2・42をマークした。

 明大での打撃成績はどうだったのか。主戦投手になった18年の3年生春のリーグ戦以降の4シーズンを調べると、91打数27安打(うち、二塁打10本)、13打点、13三振という記録が残っている。なんと投手でありながら打率2割9分7厘と、3割近い打率を残しているのだ。なかでも3年生春のリーグ戦では8試合に出場し、22打数9安打(うち二塁打4本)、9打点、2三振で、打率は驚異の4割9厘をマークした。4年生秋のリーグ戦でも8試合に出場し、25打数9安打(うち二塁打4)、1打点、3三振で3割6分という好成績を収めた。この秋のリーグ戦では、投手ながら5番を打つこともあったほどだ。

 こうした実績を知ってしまうと“野手・森下暢仁”も観てみたかった気がする。もし野手に専念していたなら、同じ大分県出身の先輩で明豊高校時代には甲子園で投手としても活躍した今宮健太(福岡ソフトバンク)のようなショートになったのかもしれない。

上杉純也

週刊新潮WEB取材班編集

2020年11月16日掲載

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