「フロイド事件」抗議デモで燃え上がる「ミネアポリス」の夜(中) 【特別連載】米大統領選「突撃潜入」現地レポート(16)

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 ミネソタ州ミネアポリスでは5月30日を境に、抗議運動から暴動の要素が消え去り、街は落ち着きを取り戻した。

 最大の理由は、ミネソタ州の州兵約1000人を動員して、ミネアポリスの街から暴徒を追い出したからだ。ミネソタ史上、はじめてのこととなる。

 翌31日の日曜日。

 テレビの夕方のニュースが、セントポールの州議事堂周辺で約1500人が集まり、白人警官が黒人のジョージ・フロイドを殺したことに対し抗議活動を行っている、と伝えた。そのニュースを見て、私は州議事堂へと向かった。到着したのは午後8時前。同日の午前中も、州議事堂が見えるセントポール大聖堂で教会のミサ再開に関する取材をしたばかりだった。

議事堂前に並ぶ装甲車

 この日の外出制限は午後8時から。

 私が州議事堂に到着した時には、州兵が装甲車10輌近くを出し、州議事堂周辺を制圧していた。抗議運動のデモ隊のほとんどはすでに、州議事堂前を離れて帰宅の途に就いたようだった。

 州議事堂前には8輌の装甲車を並べ、鉄柵で周囲を囲うという念の入れよう。ミネアポリスの警察署が放火された後で、州議事堂にまで被害が及ぶことを避けたかったのだろうか。

 州議事堂を守る州兵の顔を見て、ずいぶんと幼いなぁ、と思っていた。議事堂の前の公園に、マスコミが集まる一角があった。そこで、州兵が随分と若く見えることを告げると、全国紙『USAトゥデイ』の地元の男性記者が、こう言った。

「高校を卒業したばかりの予備兵まで全部かき集めてきたからさ。18、19歳という若者が多いのはそのせいだよ。半分ぐらいは、現場に駆り出されるのはこれがはじめて、という感じだな」

 シフトの交代時間となると、上官と思われる女性が、

「みんな、広がれ。広げた腕が、隣と触れないような距離で!」

 と掛け声をかけていた。

 写真を撮っていると、1輌の戦車が「ジョージ・フロイド」というプラカードを掲げているのを見つけた。どうして州兵が、フロイドの名前を掲げるのか。

「今回の事件は、痛ましい事件で起こってはならなかった。ジョージ・フロイドにささやかな敬意を払いたいんだよ」

 34歳という州兵はそう言った。勤務中なので名前は言えないという。

悲劇の事件の全容

 フロイドはどのようにして、白人警官の手によって殺されたのか。

 裁判資料として公開された、フロイドと警官との全会話の筆記録から再現してみる。

 5月25日午後7時50分過ぎ。ジョージ・フロイドは、地元の雑貨屋「カップ・フーズ」で20ドルの偽札を使ってタバコを1パック買った。

 7時55分、店員が偽札に気づいて、フロイドからタバコを取り返そうとするが、うまくいかない。

 8時1分。雑貨屋の店員が警察に通報。

 8時8分。2人の警官が雑貨屋の前にパトカーで到着した(夏時間を採用していることもあり、アメリカ中西部のこの時間は、十分に日差しが残っている)。

 8時9分。雑貨屋の店員から事情を聞いた警官が、向かいの通りに停めていた青のSUVに乗っていたフロイドに尋問をはじめる。警官が、

「(凶器を持っていないかどうか)手を見せろ」

とフロイドに声をかける。

 警官がピストルを抜いているのを見たフロイドの第一声は、

「I’m sorry(すみません)」

 だった。

 凶器を持っていないかどうか、両手を見せろと繰り返す警官に向かって、

「すみません。すみません、お巡りさん。オレは何も悪いことはしていません」

 と低姿勢で話し続けた。

 そのやり取りを読むと、フロイドが最初から警官を心底恐れており、銃で撃たれて殺されるかもしれないという恐怖心を抱いていたことがわかる。

 8時11分。警官は車の運転席に座っていたフロイドを引きずり出し、後ろ手に手錠をかける。その後、歩道に座らせた。フロイドが警官に抵抗した様子は一切見られない。

 この間フロイドは、

「オレのことを撃たないでくれ」

 と懇願している。こちらを見るなと言う警官に、

「オレはちゃんと目を合わせていたいんだよ。撃たないでくれ。母さんを亡くしたばかりなんだ」

 と繰り返す。

 8時12分、3人目の警官が現場に到着。

 8時14分。警官2人がフロイドを立たせて、雑貨屋の前で停めたパトカーまで連れていく。フロイドを地面に座らせる。

 警官2人がかりでフロイドをパトカーに乗せようとするが、フロイドが嫌がったため、パトカーから引きずり出される。

 フロイドは、

「オレは閉所恐怖症なんだ。話をさせてくれ。本当に閉所恐怖症なんだよ」

 と警官に懇願している。

「なんでも言うこと聞くから。本当に何でも言うことを聞くから。抵抗なんてしてないって。ホントだよ。ホントなんだよ」

 フロイドは、自分が閉所恐怖症であることを再三訴え、窓を少しだけでもいいから開けてくれ、と頼む。さらにフロイドは、「あぁ、オレはここで死ぬことになるんだろう。本当に死ぬんだ」

 とも口走る。

「オレを殺さないでくれ」

 8時17分、フロイドを殺した警官デレク・ショービン(44)ともう1人の警官が現場に到着する。

 ショービンが現場について最初に発した言葉は、

「こいつは刑務所に行くのか」

 だった。

 8時19分、ショービンがフロイドをパトカーから引きずり下ろす。

 8時20分。ショービンが、

「お前は、(手錠だけでなく)足かせも必要なのか」

 とフロイドに言った後、左手をポケットに入れたままで、地面に横たわっていたフロイドの後頸部に左膝頭を落とす。

 気道を押さえて呼吸をできなくすることはチョークホールドと呼ばれ、ミネアポリス市警の規則では、被疑者が抵抗するとき以外に警官が使うことを禁止している危険な行為だ。

 直後に、

「I can’t breathe(息ができない)」

 と3回叫んでから、事態はフロイドの死へと向かって急旋回していく。

 このタイミングで、高校生がスマートフォンで、ショービンのチョークホールドのほぼ一部始終を録画し始める。

 フロイドは、「息ができない」を合計で20回繰り返す。その間に、

「オレが死んだら、子どもたちに愛していると伝えてくれ」

「母さん、愛しているよ。もうどうすることもできないよ」

 などと叫んでいる。

 8時22分、警官の1人が、フロイドが口元を怪我したとして救急車を呼ぶ。

 フロイドが、

「オレはこのまま死んでいくんだ」

 と訴えると、ショービンは、

「苦しいのなら、話したり、叫んだりするのはやめろ」

 と命令。

「オレを殺さないでくれ」

 というフロイドに、「それなら、話したり、叫んだりするのをやめろ。酸素がなくなるぞ」とショービンが繰り返す。

 その直後の言葉が、フロイドの最期の言葉となった。

「あぁー! あぁー! お願いだ、お願いだ、お願いだ……」

 8時25分、フロイドが動かなくなった。

 それを見た事件現場に居合わせた人々が、フロイドへのチョークホールドをやめるように、と口々に言い募る。

「見ろよ、奴はもう何の反応もしてないじゃないか」

「彼の脈を確認してよ」

 しかし、ショービンは無表情のまま、チョークホールドを続けた。

 8時27分、救急車が到着。救急隊員がフロイドの首を触って脈があるかを確認する間もショービンはチョークホールドを続ける。

 この間も周囲の人々が、チョークホールドを止めようとショービンに声をかけるが、別の警官が、邪魔はするなとして押し戻している。

 8時28分、救急隊員に促された後、ショービンがようやく膝を首筋から外す。

 その間の時間は8分46秒だった。

 その後、この8分46秒は、人々がフロイドの死に黙祷を捧げる時間などに使われるようになり、事件の根底にある事件を哀悼するときの象徴としてあつかわれる。

 8時29分、フロイドを担架に乗せ、救急車に運び込む。

 8時30分。救急車が病院に向かって出発。

 9時25分、ジョージ・フロイドが、地元の病院で心肺停止と宣告され死亡。享年46。

 雑貨屋の店員が警察を呼んでから、フロイドが救急車に運び込まれるまで30分弱。ショービンが事件現場に到着してからだと、10分強という短時間で起こった悲劇だった。

 検視の結果、地元の検視官事務所は、フロイドの死因は「首の圧迫による心停止」とし、「殺人」だったと認めた。

 4人の警官は、事件の翌日解雇された。主犯のショービンは、第2級殺人罪と第3級殺人罪で起訴され、残りの3人は殺人幇助罪で起訴された。

相互扶助の精神

 地元の教会で牧師を務めるジョーダン・ボーアー・ネルソン(32)は、焼け落ちた全国チェーンのスーパーである「ターゲット」の近くで、自家用のグリルを持ち込みホットドッグを焼いて、道行く抗議運動参加者などに配っていた。

「抗議運動が激しくなった数日前から、毎日、ここで食料品を配っているんだ。以前から新型コロナの影響で、多くの小売店は閉まっていたうえに暴動も重なって、ここら辺の飲食店はもちろん、食料品店もほとんど全部、店を閉めている。そんなときに一番必要なのは、食料と水分だろう。全部教会への寄付なので、無料で配っているよ」

 私がジョージ・フロイドの事件現場にはじめて到着した時、現場付近の中華料理屋の前に、テントを張り、食料品やボトルに入った水などの生活必需品を並べ、無料で手渡している人を見ていた。

 装甲車が集結した州議事堂前にも、ボトル入りの水がいたるところに置かれていた。

 私が小学生の頃、青酸ソーダが入ったコーラが東京や大阪に置かれ、無差別殺人を狙った事件を経験した身としては、むやみに、人からもらったものや、ましてや誰が置いたかわからない水を飲むことには、無意識にブレーキが働いていた。

 だから、無料で食料品を配っているテントをはじめて見ても、それが地域の相互扶助の精神に根付いているボランティア活動だと理解することはできなかった。何日か事件現場に通ううち、社会の連帯感が、決して経済的に豊かとは言えないこの黒人街に流れているのを感じた。

 私自身、事件現場やその周辺に数多くいるボランティアたちから、何度か水をもらい、ホットドッグやハンバーガーを受け取って食べた。そのたび、1、2ドルといった少額の気持ちばかりの寄付(chip in)を渡そうとするが、皆、「お金なんか必要ない」と言って、申し出を断った。

 一度は、マスクを切らしていた時に、手術用のマスクを配っている男性からマスクをもらった。彼はお金を差し出す私に、

「母親が看護師だからマスクはたくさんあるんだよ」

 と言って立ち去った。

警官の差別への反動が「暴動」「掠奪」

 ホットドッグを焼いていたネルソンに、略奪を含む暴動について尋ねてみた。

「略奪かい? そうだな、仕方ないって感じだな」

 という言葉が返ってきた。

 日本では、ジョージ・フロイドの殺害も悪いが、その後の略奪も悪い、と並列的に否定しがちだが、地元では必ずしもそうではないようだ。

 ネルソンが続ける。

「もちろん、略奪はよくないさ。でも、ジョージ・フロイドを殺した警官は、警察という権力をかさに着て公的な“暴力”をふるってきたんだ。

 ジョージ・フロイドの事件は、ただの氷山の一角にすぎない。白人警官の黒人男性に対する暴力は、日常の中に数えきれないほど見つけることができる。そうした暴力を身近に感じているから、その反動として暴動や略奪が起こるんだよ。警官の差別は、歴史的な存在なんだ。

 それに対して、警察を含む市や州の監督する立場の担当者は、十分な責任説明を果たしてきていない。その主犯の警官が、第2級殺人で起訴されただけで、まだ、裁判で有罪になるかどうかもわからない。

 たとえば、黒人が麻薬を売っているところを現行犯で捕まったとすると、懲役4年から5年はくらう。それに比べると、警官は暴力への免責制度があるので、事件の捜査と称して殺人を犯しても、裁判で無罪となることが圧倒的に多かった。そうしたことへの、長年の鬱積した気持ちが略奪につながったと思っているんだ。

 それに、春先から新型コロナが襲ってきた。ウイルスの致死率は、人種間で大きな違いがあるのは知っているだろう。白人と比べて、黒人の死亡率は3倍近くになる。それは、偶然じゃないはずなんだ。

 加えて、追い打ちをかけるようにジョージ・フロイドの殺人が起った。略奪を働いたのは多くはよそ者だけれど、地元の人間が加担したのを知っている」

 旧約聖書のモーゼの十戒に「汝、盗むなかれ」という一文があるのは、私でも知っている。キリスト教徒の視点から見ると、略奪は許されるのか。

「もちろん、キリスト教徒として盗みを肯定することはできない。けれど、盗んだ人たちの感情はわかる。積もりに積もった怒りの感情だ。俺にできることは、彼らのために祈ることだな。イエスはどう思うかって? イエスも、きっと彼らの心の痛みを理解してくれるだろうよ」

 最後に11月の大統領選挙について訊いてみた。

「ドナルド・トランプに投票することは絶対にない。トランプは邪悪で、猛毒のような言葉を放つから。ヤツの使う言葉は、人種差別に深く染まっている。かといって、ジョー・バイデンに投票するかと言えば、それは未定だ。バイデンは、トランプよりははるかにましだけれど、黒人社会を含めた社会全体のために何をしてくれるのかは、投票日まで見極めなければならない」

略奪者に対して同情的

 はたして略奪は仕方ない、と言えるのだろうか。

 ネルソンと別れた後、私はそう思いながら、燃え落ちた建物などの写真を撮るために、事件現場付近を車で回ってみた。

 フロイド事件後の略奪や放火などで、ミネアポリスの約1500軒のレストランや小売店舗、雑貨屋などが被害を受けた。ミネアポリス市が発表した被害額の推計は、約5500万ドル(約58億円)に上る。

 そうした甚大な被害に対しても理解を示す理由はどこにあるのだろうか。

 事件現場から車で5分ほど離れたところに、テナントの多くが焼け落ちた小さなショッピングセンターを見つけて、写真を撮って回った。

 どのビルでも、焼け跡の中に足を踏み入れると、ざらざらとした粉塵のようなものが口の中に充満する。プラスチックが焼けたような独特の異臭が鼻孔を突く。生まれてはじめてかぐ臭いだ。気管支系の疾患を持った人ならば、すぐに息苦しくなりそうだ。

 ダウンタウンのショッピングセンターで、略奪された後に放火された家電量販店の全米チェーン「ホーム・デポ」の店舗を見つけた。略奪から防御するために窓に貼ったべニア板には「正義を求める(We Want Justice)」や「息ができない(I can’t breathe)」などの文字がスプレーで書きなぐられていた。

 店舗の前にトラックが停まっており、トラックが作る日陰にアジア系の男性を見つける。

「ホーム・デポ」の店長で、地元で生まれ育ったというチャウ・ドゥー(32)は、ベトナム系アメリカ人だという。

「もう大丈夫だとは思うけれど、念のために店舗にきているんだ」

 と言う。

「ホーム・デポ」が略奪される様子は、テレビのニュース番組で知ったという。

「コロナの後も、入場人数を制限して店を開けていた。事件が起こって3日目に、店が略奪に遭った。それを地元テレビのニュース番組で知ったんだ。

 抗議運動が激しくなったその日は、午後5時ごろ、早々に店を閉めた。従業員の安全のためにね。従業員は全部で15人、そのうち黒人も3人いる。全員、地元の住民だよ。

 どうしてうちの店舗が略奪に遭ったかって? 抗議運動の標的となった警察署が、すぐ近くにあるだろう。その流れで暴徒がやってきたんだよ。このショッピングセンターの店舗はほとんど被害に遭っている。うちの店では、ほとんどの商品が奪われた」

――暴徒についてどう思っているのですか。

「暴徒に対しては、同情的な気持ち(sympathetic)だね。なかには悪い人たちも交じっていたけれど、そのほとんどは他所から抗議活動に便乗してきた人たちだと思うよ。多くの人は、いい人たちだよ」

――その「いい人たち」には、店の商品を奪っていった人も入っているのですか。

「僕自身は黒人じゃないけれど、この街で生まれ育った。この地域に住んでみないとわからない事情があるんだよ。長年、警察におびえるようにして生きてきた人たちは、今回の事件で、自分たちの不安が映像になって表れた、と思ったんだよね。それが怒りとなり、抗議運動にもなったけれど、一部は略奪にもつながった。

 ジョージ・フロイドの事件だけじゃないんだよ。それはきっかけに過ぎないんだ。この地域社会が、警察の監視のもとで暮らしているような息苦しさがわからないと、この怒りはなかなか理解できない、と思うよ」

――あなたは略奪の被害を受け入れているようだが、もし、あなたが店長ではなく、店の所有者であっても同じように思えますか。

「……。こんな店を持つようなお金は一生持てそうにないと思うから、自分の店だったらどう思うのかは、考えたこともないよ」

 略奪された店舗の店長までが、略奪者たちに同情的な感情を抱く、というのだ。その後数日、ミネアポリスにとどまって取材をつづけたが、略奪者を非難する人には1人も出会わなかった。黒人だけでなく、白人に訊いても、似たような答えが返ってきた。

あまりにも多い警察の黒人への暴力

 警察が、一般市民に捜査を盾にして暴力をふるう。日本では考えづらいことだが、アメリカの生活、とくに黒人男性の生活では、日常の光景に染み込んでいる。

 アメリカでは、毎年約1000人が警察によって銃殺されている。1日平均で3人弱という計算だが、その中で黒人が警官に銃殺される比率は、白人の約3倍 に上る。

 その黒人の抱く恐れは、容易に想像がつく。その恐怖心ゆえに、警官に逮捕されたジョージ・フロイドはパニックに陥り、結局そのことが事態を悪化させ、自らの命を落とすことにもつながった。

 数字をつづけてみよう。

 全米の刑務所に収容される黒人男性の割合は黒人の人口の3%。それに対し白人男性は0.5% 。

 黒人の人口比は13%であるのに、警察に逮捕されるのは28%、警官によって殺されるのは32%、死刑判決を受けたのは42%が黒人――という数字がある。

 ミネアポリスに限って言えば、警官の実力行使の対象となるのは58%が黒人で、白人と比べて7倍に上る。

 世論調査によると、自分や家族が警察に守られているという信頼感を持っている人は、有権者全体の69%と過半数を超えた。白人では77%を占めたが、しかし黒人では36%と半分以下にとどまった。

制度的人種差別

 こうした数字を説明するために、「制度的人種差別」という言葉がある。

 アメリカ史をさかのぼると、南北戦争中の1863年、第16代大統領のエイブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言を出した。しかしその後も、南部では「ジム・クロー法」と呼ばれる人種隔離を目的とした州法が残った。

 1964年に制定された公民権法によって、黒人に対する参政権が認められたことで、ようやく法律上の差別はなくなった。しかし、収入格差や資産格差、教育格差や医療格差など多くの社会的利益の面で、黒人は白人と同じ条件を享受することができないまま今日に至っている。

 一橋大学の貴堂嘉之教授は『文春オンライン』の取材に対し、制度的人種差別とは、

「社会的な弱者が不利となる仕組みが社会構造に組みこまれていて、黒人が黒人として生まれただけで、以後の人生が自動的に不利になってしまう。その悪循環から抜け出せない。そうした、個人の自助努力では克服しがたい構造的な差別のこと」

 だと答えている。

 アメリカの黒人差別の問題は、「移民の国」や「法の下の平等」というアメリカ建国の基本理念と矛盾する、米国社会最大の問題である。

事件現場が「最も安全な場所」

 事件現場の近くに住んでいるキア・バイブル(49)は、事件後に寄付を募り、スクールバスを使って、仲間と〈ジョージ・フロイド医療ステーション〉を立ち上げ、医療品や日常品、食料までを無料で配っている。

「テネシーに住んでいた私の父は、キング牧師のワシントン大行進に参加したのよ」

 と言う。

 公民権運動の立役者であるマーチン・ルーサー・キングが約20万人を集め、ワシントンDCに向け行進をしたのは、公民権法が制定される前年の1963年のこと。人種の平等と差別の終焉を訴えた「私には夢がある(I have a dream)」の演説は、アメリカ史の金字塔となった。

 そうした父を持つバイブルも、今回の略奪行為を否定しない。

「黒人の意見はもっと広く聞かれる必要があるということなのよ。今まで、長い間、蔑ろにされてきた。正義が行われるときには、犠牲も伴うわ。

 けれど、地域社会をいったん壊すことで、地域社会が再生することもあるのよ。この事件現場がいい例でしょう。いま、この付近は、警察の介入なしでも最も安全な場所になっているじゃない」

 事件現場が「最も安全な場所」というのは、彼女の言葉通りである。24時間途切れることなく、フロイドの死を悼む人たちで通りはあふれ、ここで身の危険を感じることはない。

「略奪が始まるとき、銃撃が起こる」

 バイブルに話を聞く直前、事件現場に夕立が降りそうになった。

 現場の十字路には、献花や食料などが所狭しと並んでいた。夕立の気配が濃くなってくると、黒人男性の1人がマイクを握り、雨が降る前にすべてのものをビニールシートの下に移動させてくれるよう呼びかけた。そこに居合わせた人が協力して、物を移動させた。夕立が去った後は、献花が再び道路いっぱいに広げられた。

 その光景を思い出しながら話を聞いていると、

「あんなヤツは、弾劾してしまえばいいのよ」

 とバイブルが言い出す。

 フロイドを殺した警官のことか、と思って聞き返すと、

「トランプのことよ」

 という返事。

「トランプには、この事件から発生した各地のデモを収める力はないでしょう。就任以来、トランプは人種差別を煽るような発言ばかり繰り返してきたんだから。

 今回も、『略奪が始まるとき、銃撃が起こる』ってツイッターに書き込んだじゃない。あれは、トランプが人種差別主義者である証拠よ」

 確かにトランプ大統領は、ミネアポリス発の抗議運動が全米に広がり、お膝元のワシントンDCにまで迫ってきた5月29日、

「略奪が始まるとき、銃撃が起こる」

 とツイートしている。この言葉は、1967年にフロリダ州マイアミ市警察のトップが、黒人居住区で起きた騒乱を鎮圧するために、あらゆる手段を講じることを警察に許可したときの表現だ。

 ツイッター社はこのツイートを、

「暴力を賛美する」

 内容だとして、警告を表示した。

 その後、さらに抗議活動が広がると、トランプは一時、ホワイトハウスの地下壕に避難することを余儀なくされた。大統領が地下壕に避難したのは、2001年にアメリカ同時多発テロが起こった「9・11」でのジョージ・ブッシュ(子)以来のことだ。

 地下壕に避難したことが報道されると、トランプは激怒した。トランプが最も嫌うことの1つに、自分自身がメディアに弱虫として描かれることがある。

 汚名を返上するため、トランプは6月1日、ホワイトハウスで記者会見を開き、自らを「法と秩序」を厳守する大統領だとした。もし各州の知事が抗議運動に弱腰の態度をとり続けるなら、

「連邦軍を派兵して、抗議運動の問題を迅速に解決する」

 と威圧的に語った。

 トランプが好んで使う「法と秩序(Law and Order)」という言葉は、1964年に公民権法が施行された後に各地で暴動が頻発した時、1968年の大統領候補だったリチャード・ニクソンが多用したものだ。警察権力を使って地域社会を厳しく取り締まることで、皆さんの生活の安全を守りますよ、という意味がある。

 トランプの記者会見の直前、ホワイトハウス周辺で平和裏にデモを行っていた人々に対して、警官隊が催涙弾やゴム弾を発射し、抗議行動を強制的に排除した。記者会見後、トランプは軍の高官などを引き連れてセント・ジョン聖公会教会まで歩き、聖書を掲げ、マスコミに写真を撮らせた。

『USAトゥデイ』はこれを、

「史上最悪の写真撮影」

 と呼んだ。

トランプの皮算用

 前々回(2020年7月5日『トランプ「教会再開」を痛烈批判した「教会」』)、この「最悪の写真撮影」には、白人の福音派を含む保守層にアピールする狙いがあった、と書いた。どうやって再選されるかで、トランプの頭の中はいっぱいなのである、と。

 これまでも人種間の暴動はあった。そんなとき、大統領は党派を超えて、国民の団結を呼びかけた。この場合なら、警察官の行き過ぎた暴力を非難し、黒人男性の死を悲しむというシナリオに沿って演説をするのが定石だった。国民の団結を呼びかけて国民の動揺を鎮め、大統領らしく振舞うことで、支持率も高まる。

 しかし、トランプにはそれができない。

 そこにはまた、トランプ独自の再選への皮算用が関わってくる。

 前回の大統領選では、8割前後の警察官がトランプ大統領に投票した。その反面、トランプ大統領に投票した黒人は1割にも満たない 。ここで非難すべき警察官はトランプにとってお得意さんであり、本来なら擁護すべき黒人はこれまでも粗略に扱ってきた。

 黒人を粗略に扱ってきた最たる例は、バージニア州で2017年に起こった白人至上主義者の集会に対する抗議活動だ。白人至上主義者の1人が車で抗議する集団に突っ込み、20人が死傷する事件が起きた。白人至上主義者の中には、ネオナチやKKK(クー・クラックス・クラン)の構成員なども交じっていたという証言もある。

 トランプ大統領は、

「双方に責任がある」

「どちらにも素晴らしい人がいる」

 と発言して世論の反発を買った。

 本来なら、ネオナチやKKKを「素晴らしい人」と表現することは、アメリカでは政治的な自殺にも等しい。しかし、白人保守層の歓心を買うには必要だった。

 トランプ大統領が望んでいるのは、幅広い世論の支持ではなく、投票してくれる支持基盤を維持することだからだ。再選のために必要なのは、国民を団結させることではなく、分断させることなのだ。

 トランプの支持率はすでに、新型コロナの対応のまずさから落ち込んでいた。その支持率はフロイド事件の対応における不手際で、さらに急落することになる。

 この取材の直後に行われた世論調査では、平和的な抗議運動について、国民の84%は理にかなったものだと考えていることがわかった。その反面、65%がトランプの抗議運動への対応は有害だ、と答えた。

 トランプの支持率は38%で、不支持率は57%。民主党候補者のバイデンの支持率52%と比べると14ポイントの差がつき、『CNN』は再選に向けたトランプの支持率を「危機的水準」として伝えた。

 ミネアポリスの路上で起きたフロイド事件が、アメリカに依然として根付く人種問題を浮き彫りにした。

 今後の大統領選挙では、どうやって人種問題を解消していくのかが、大きな争点となる。「分断の大統領」であるトランプは、はたしてこの問題に、有権者が納得できるような解決策を提示することができるのだろうか。(この稿つづく)

横田増生
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。関西学院大学を卒業後、予備校講師を経て米アイオワ大学ジャーナリズムスクールで修士号を取得。1993年に帰国後、物流業界紙『輸送経済』の記者、編集長を務め、1999年よりフリーランスに。2017年、『週刊文春』に連載された「ユニクロ潜入一年」で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞(後に単行本化)。著書に『アメリカ「対日感情」紀行』(情報センター出版局)、『ユニクロ帝国の光と影』(文藝春秋)、『仁義なき宅配: ヤマトVS佐川VS日本郵便VSアマゾン』(小学館)、『ユニクロ潜入一年』(文藝春秋)、『潜入ルポ amazon帝国』(小学館)など多数。

Foresight 2020年8月11日掲載

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