橋下徹も愛した早稲田の銭湯「松の湯」が7月末閉店…跡地は三菱地所マンションへ

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銭湯で「ご馳走様でした」

――山崎さんは、ずっとこちらで育ったわけですか?

 はい、生れたのは横浜でしたが、すぐに早稲田に越してきました。地元の高校を出たあとは、昭和43年(1968年)から渋谷の西武百貨店で商品仕入れの仕事を1年半ぐらいしていました。20歳の頃に「松の湯」で雇っていた人が辞めることになって、父親から手伝ってくれと言われて私もやることになりました。

――銭湯で働きたいと思っていた?

 働きたいとか働きたくないっていうか、やらなきゃいけないんだろうなとは思っていました。兄弟は姉が2人だけだったので、自分が継ぐことになるんだろうと思っていました。銭湯の仕事については、やりたくないってことはないし、やりたいっていうほどのモンでもなかったし、そんな気持ちでした。やらなきゃいけないんだろうな、と。
 でも、2年程度ですがサラリーマン生活を経験したので、社会人としての人付き合いだったり、世の中の流れみたいなものは、身についていたと思います。

――その後、先代が亡くなって継いだわけですか?

 はい。途中で結婚して家内も加わって、両親と私たち夫婦の4人の家族経営を続けていました。1982年に父が亡くなって代表が母に移り、その母親も十数年前に亡くなって私が跡を継ぎました。今は夫婦2人で続けています。平成7年(1995年)に改修工事をしたのですが、四半世紀が過ぎて、そろそろまた改修の時期が来ていました。25年前は最先端だったんですが、もう老朽化が進んでしまいました。

――普段のお仕事の流れは?

 銭湯の仕事は、大変なんですよ。朝8時半に起きて、寝るのは午前3時ですから。起きたら掃除をしたり水を貯めたりして、昼食を取ったら14時半にはシャッターを開けないといけません。開店は15時ですが、気の早いお客さんが多くて並んで待ってくれているんです。昔は薪割りをして薪で火を起こしていたので、これでもだいぶマシになりました。

――この数十年で、周辺の雰囲気も変わりましたか?

 昔は早稲田大学の運動部が近くで活動していたから、街全体が騒がしかったよね。野球部はスパイク履いたままカチカチ音鳴らして道を歩いてたし、今の図書館のある場所には安部球場っていう野球場もあったから、いろんな音が聞こえていました。近くの西早稲田商店街も、店がどんどん減って寂しくなりましたね。

――印象的なお客さんはいますか?

 元大阪府知事の橋下徹さんも、学生時代に彼女と一緒に来ていたそうですよ。当時は別に学生さんの名前までいちいち聞かないので、知りませんでした。TBSアナウンサーだった故・山本文郎さんと橋下徹さんが、テレビ番組のロケで脱衣所で対談をしたこともありますよ。

――今も学生は来ていますか?

 今はコロナで人通りが少ないですが、来てくれますよ。最近は、学生さんで風呂上がりに「ご馳走様でした」って言ってくれる人がいて、若いのに珍しいなと思いました。年寄りだったら、今でもそう言う人は多いんです。一緒に来ていた友達から「お前、ご馳走様は違うだろ」ってツッコミを入れられていて、思わず笑ってしまいました。風呂上がりに「ご馳走様でした」は使って頂いて構いませんよ。昔は「お風呂を頂く」という言い方をしたので、それに対して「ご馳走様でした」という言い方になるんでしょうね。

――引退後の予定は?

 若い頃にハンマー投げをしていたので、身体に気をつけながら、趣味で陸上競技をしたいなあと思っています。

西谷格
1981年、神奈川県生まれ。早稲田大学社会科学部卒。地方新聞「新潟日報」の記者を経て、フリーランスとして活動。2009~15年まで上海に滞在。著書に『ルポ デジタルチャイナ体験記』(PHPビジネス新書)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年7月13日掲載

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