新型コロナ「ワクチン」「治療薬」開発はなぜ進展しないのか 医療崩壊(39)

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 多くの先進国で「新型コロナウイルス」の第1波の検証が進んでいる。

 特記すべきは、抗体保有率の低さだ。表1に6月29日現在の主要な報告を示す。

 これを見ると、集団免疫戦略を採ったスウェーデンの首都ストックホルムでさえ、5万人の住民を対象とした最大の調査の抗体陽性率は14%に過ぎなかったことがわかる。

 日本はもっと低い。4万4066人を対象とした「ソフトバンクグループ」が実施した調査で、抗体保有率は0.43%に過ぎなかった。

 集団免疫を獲得するには、スウェーデンのストックホルム大学の研究者たちが米『サイエンス』誌に発表した最も低い数字でも、43%の人が免疫を保有しなければならない。絶望的な数字だ。

ワクチン開発は至難の業

 集団免疫作戦が難しければ、ワクチンと治療薬を開発するしかない。そこでマスコミ報道を見ると、開発は順調のように思える。

「ワクチン開発急ピッチ」(『読売新聞』6月30日)

「中国生物技術、コロナワクチン治験で抗体の生成確認」(『ロイター』6月16日)

「コロナワクチン、12~18カ月で実用化目指す WHO」(『朝日新聞』6月27日)

「ワクチン、実用化前から量産準備 世界で培養タンク争奪」(同6月26日)

 こうした記事が連日のように掲載されている。

 ところが、現実は甘くない。ワクチン開発は失敗の連続だ。知人の製薬企業社員は、

「第1相や第2相試験で抗体が確認されても、その抗体が機能し、感染を予防するかは分からない」

 と言う。

 ワクチンが本当に有効か否かを検証するには、プラセボ(薬としての有効成分が入っていない「偽薬」)を用いた大規模な第3相臨床試験を行い、ワクチン投与群で実際に感染者が減るかを調べねばならない。これをクリアして初めて、ワクチンの開発が成功したと言うことができる。

 これは至難の業だ。過去、エイズ(後天性免疫不全症候群)病原体の「HIVワクチン」をはじめ、多くのワクチンが第3相試験で失敗してきた。私が知る限り、日本の製薬企業でワクチンの第3相臨床試験を成功させたのは、「武田薬品工業」だけだ。中南米諸国や東南アジアなどで「デングウイルスワクチン」の臨床試験を実施し、昨年、その成績を発表した。

 新型コロナウイルスは、突然変異が生じやすい「RNAウイルス」だ。ワクチン開発は苦戦すると予想されている。麻疹・風疹(MR)や水痘ワクチンのような「生ワクチン」、インフルエンザなどの「不活化ワクチン」(培養ウイルスを精製し、加熱やホルマリンなどを用いて感染力をなくしたもの)ならともかく、新型コロナウイルスのようにmRNAやDNAなどの一部を体内に導入し、このような塩基が作り出す蛋白が、有効かつ持続的な免疫を誘導するかは分からない。

 開発中の多くのワクチンが、新型コロナウイルスがヒト細胞に感染する際に足がかりとなる「スパイク蛋白質遺伝子」を導入した、「遺伝子組み換えワクチン」を利用している。

 ところが、スパイク蛋白質遺伝子は突然変異が生じやすい、ということが知られているのだ。前出の製薬企業社員は、

「世界中で実施されているすべてのワクチン開発が失敗しても不思議ではない」

 と言う。米「国立アレルギー感染症研究所」のアンソニー・ファウチ所長も、

「ワクチンの有効率は70~75%がいいところだろう」

 とコメントし、米国民の3分の2が接種しても、

「集団免疫を獲得することはあり得ない」

 との見解を示している。

治療薬も前途多難

 では、治療薬はどうだろうか。こちらも前途は多難だ。

 現在、新型コロナウイルスに対して有効性が証明されているのは、米「ギリアド・サイエンシズ」が開発した「レムデシビル」だけだ。5月1日、米「食品医薬品局」(FDA)は入院中の重症患者に対する緊急使用を許可した。厚生労働省も5月7日に承認している。

 レムデシビルの有効性の根拠となったのは、世界10カ国73施設が参加した国際共同第3相臨床試験だ。日本からも「国立国際医療研究センター」が参加した。この試験では、レムデシビル投与群で回復までの期間が約4日間短縮し、14日間の死亡率は11.9%から7.1%に改善した。

 問題は、この臨床試験のサブグループ解析で白人での効果は顕著だったが、アジア人では有効性がはっきりしなかったことだ。

 同様の事実は、中国の武漢の医師たちが4月29日に英『ランセット』誌に発表した第3相臨床試験でも確認されている。この研究では237人の中国人患者を対象に、プラセボとレムデシビルを比較したが、症状改善までの時間は両群で有意差はなかった。

 この研究が実施された時、中国での感染はピークを越え、当初予定した患者数を登録できなかったため、研究の検出力には限界がある。結果の解釈は慎重にすべきだが、レムデシビルの限界を考える上で重要だ。

 レムデシビルの問題は、これだけではない。ギリアド・サイエンシズの供給能力に限界があるのだ。世界同時に第2波が襲来した場合、

「レムデシビルの多くは米国で消費され、日本に十分な量は入ってこない」(製薬業界関係者)

 と考えられている。

「日本には『アビガン』がある」とお考えの方もいるだろう。

 日の丸印の治療薬として安倍晋三政権はアビガンの開発を支援している。だが、製造販売する「富士フイルム富山化学」が進めている第3相臨床試験は現在も継続中であり、結果は発表されていない。有効性についてはまだ何とも言えない。

 結局、新型コロナウイルス対策は、集団免疫戦略からワクチン・治療薬の開発まで、すべてうまくいっていないのが現状なのである。

ステロイドには有効性がありそうだが

 ところが6月16日、この状況を変える可能性がある臨床研究が、英国から報告された。

 英国の175の公的医療(NHS)病院に、新型コロナウイルス感染で入院した1万1500人以上が参加している「無作為化試験」(RECOVERY =Randomised Evaluation of COVID-19 Therapy)の1つで、ステロイド(「デキサメタゾン」6mg/日)の有効性を検証したものだ。

 この研究では、入院を必要とした中等症以上の患者を2群に割り振り、デキサメタゾン投与群2104人には同剤6mg/日(経口か静脈注射)を10日間、対照群4321人には標準的な治療を10日間提供した。

 人工呼吸管理や酸素投与が必要な重症患者において、デキサメタゾンの投与は死亡率を35%(人工呼吸器管理)、20%(酸素投与のみ)低下させていた。一方、人工呼吸管理や酸素投与が不要な患者では、その効果は確認できなかった。

 新型コロナウイルスによる肺炎が重症化するケースでは、「サイトカインストーム」と呼ばれる免疫の暴走の関与が指摘されている。

 この際、中心的な役割を果たすのが「IL-6」と呼ばれる蛋白質で、スイスの「ロシュ」や仏「サノフィ」、米「リジェネロン」連合は、関節リウマチ治療などに承認されているIL-6抗体の治療効果を評価するための、第3相試験を実施中だ。

 ステロイドホルモンはIL-6を含め、炎症物質の生成を全般的に抑制することが知られている。今回の英国の研究結果は、このような事実と合致する。

 一方、ステロイドはウイルスに対する免疫も抑制してしまう。軽症患者に効かなかったのは、このような患者ではサイトカインストームが発生しておらず、ステロイド自体にウイルスの増殖を抑制する力がないからだろう。医学的に納得できる結果だ。

 もちろん、この臨床研究だけで新型コロナウイルスの治療におけるデキサメタゾンの有用性が確立したわけではない。別のグループによる追試が必要だ。

 この研究が世界で広く報じられたのは、デキサメタゾンが安価でありふれた薬だからだ。すでにジェネリックが発売されており、「日医工」の製品の場合、1錠(0.5mg)5.7円だ。1日あたり34円で、10日間の薬剤費は340円である。注射剤を用いても2580円に過ぎない。

 ギリアド・サイエンシズは6月29日、先進国向けのレムデシビルの薬価を1バイアルあたり390ドル(約4万2000円)に設定した、と発表した。1患者あたりの治療費は2340ドル(約25万3000円)だ。これでは途上国は手が出せない。デキサメタゾンとは対照的だ。

 これが新型コロナウイルスを巡る治療法開発の最前線だ。新薬開発から既存薬の再評価まで、世界中が地道に臨床研究を進めている。

「感染症ムラ」が阻む日本の臨床研究

 日本の問題は、臨床研究が進んでいないことだ。

 これは医薬品開発に限った話ではない。図1は、6月3日現在の主要国の新型コロナ関連の論文数だが、人口あたりの新型コロナ関連の論文発表数はコロンビアにも劣る。この状態のツケを払うのは国民だ。

 なぜ、こんなことになるのか。私は「感染症ムラ」の存在が大きいと思う。

 私が「感染症ムラ」と呼ぶのは、厚労省健康局結核感染症課・国立感染症研究所・保健所を中心に、情報と予算を独占した閉鎖的な集団だ。この点にご興味のある方は、本連載の前稿『「感染症ムラ」解体せねば「日本医療」に明日はない』(2020年6月8日)をお読み頂きたい。

 問題の深刻さに驚かれるだろう。新型コロナウイルス流行の第2波に備えるためには、やはり抜本的な改革が欠かせないのだ。

上昌広
特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。
1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。

Foresight 2020年7月3日掲載

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