「新型コロナ禍」で閉ざされた「交流」福島被災地の「模索」と「きざし」

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 今年3月、東京電力福島第1原子力発電所に近い福島県双葉町、富岡町などの帰還困難区域の避難指示が一部解除された。

 JR常磐線が全面再開し、9年ぶりに被災地を特急が通り、東京五輪の聖火リレーも予定されて、地元は交流の広がりを復興の弾みにしようと盛り上がった。

 だが、首都圏の「新型コロナウイルス」蔓延で、期待を託した春のイベントは中止に――。

 再びの苦境にある浜通り地方の被災地から、懸命に発信を続ける女性を取材した。  

JR常磐線が全線再開

 ホームからフェンス越しに見える駅の西側には、広大な空き地があるだけで、工事車両が慌ただしく動いていた。新幹線が通りそうな真新しい2階建ての駅舎も無人で、正面を出た駅前広場には、警ら中のパトカーが1台ぽつりと停まっている。 双葉町を訪ねたのは4月下旬。午前10時24分発の下り普通電車がちょうど双葉駅を滑り出たところだったが、「2020.3.14 常磐線全線運転再開」の大きな看板が掲げられたホームに乗降客の姿はなかった。

 原発事故以来、最後に残った常磐線の不通区間(富岡~浪江間)が9年ぶりに運転再開となった3月14日の朝。同じホームが一番列車の歓迎セレモニーでにぎわった。

「おかえり常磐線」の横断幕が広げられ、地元の標葉(しねは)せんだん太鼓保存会が祝いの曲を響かせ、避難先から集った町民が喜び合った。内堀雅雄福島県知事も駆けつけ、祝辞とともに「東京五輪の聖火リレーで常磐線の利用が計画され、全国にアピールする絶好の機会」と述べたという。

「双葉 3月1日避難解除へ/大熊5日 富岡10日/3町、国と年内合意/常磐線 全線再開前に」という見出しの記事が『河北新報』に載ったのは、昨年12月19日のことだ。

 3町とも常磐線の運行再開と合わせて、一般の立ち入りが制限された帰還困難区域の一部が解除されるという内容(双葉町は実際には3月4日に解除)である。

 双葉町は福島第1原発のお膝元で、これまで解除された地域のない唯一の自治体だった。町の中心部を政府が「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)に指定し、中心にある双葉駅の東西(19ヘクタール)を先行解除し、急ピッチの除染を進めた。

 同27日の続報は、伊澤史朗同町長が、

〈避難市町村で唯一ルートに入っていない東京五輪の聖火リレーに関し「追加してもらえるよう県や大会組織委員会に要望する」と述べた〉

 と伝えた。

 県も後押しし、放射線の影響が残る国道6号線を避けて常磐線にランナーを乗せ、南隣の大熊町から1駅の双葉駅まで聖火を運んだ後、駅前広場で約500メートルのリレーをする――という異例のルート追加を、全線再開のほぼ10日前に発表した。

 駅の隣に町職員が常駐する出張所が開業し、通行証なしで中心部に入れるよう制限も外れたが、「復興拠点」に人が住めるのは2年先の予定だ。

 駆け込みとも見えるルート追加は、全国を聖火が巡る大イベントに参加したい双葉町の心情への配慮だったのか、それとも安倍晋三首相が持論とする「復興五輪」の体裁を繕いたかったのか。

 ただ、3月26日に予定された聖火リレーは、新型コロナ禍による東京五輪延期で幻になった。残るのは、無人の街の景色だ。

「運転再開の朝、双葉駅のホームにはあふれるほどの町民がいた。太鼓保存会の人たちは『26日にここで再会しよう』と語り、聖火を迎える演奏を楽しみに避難先に帰った。あるメンバーは駅の近くに家があったそうで、奥さんが『いつも電車の音を聞いて暮らしていた。双葉町でまた演奏できるのがうれしい』と涙を浮かべていた。みんな、延期は残念だったと思う」

 富岡町で震災・原発事故の後に設立されたまちづくり会社「とみおかプラス」のスタッフで、この日、双葉町に取材に来ていた山根麻衣子さん(43)が語った。

解体を待つ町並み

 山根さんは横浜市の出身だ。筆者は『河北新報』記者時代の2012年3月、横浜で開催された東日本大震災から丸1年の支援フォーラムで知り合った。

 神奈川県は支援活動の先進地で、県と県社会福祉協議会、災害ボランティアNPO(非営利組織)が共同でボランティアバスを運行しており、山根さんは仕事を辞めて岩手県大槌町など被災地の模様を発信する活動をした。

 双葉町との縁は2014年9月、当時在籍していた東京の社会事業団体から「復興支援員」として町に派遣されたことがきっかけだった。いわき市内に町の仮役場があり、そこから町民の避難先を訪ねて町の公式「フェイスブック」や広報誌に記事を書き、人を情報でつなぐ仕事の日々だったという。

「避難指示が一部解除になって、初めて双葉町の中心部に入れるようになった。でも、もう建物の解体作業が進んでいる。いまが、かつての町の姿を見る最後の機会です」

 山根さんは新型コロナ禍が広がる前まで、首都圏から訪れた被災地視察の客や大学生らをここに案内したという。双葉町にはいくつも名物店があった。

〈ここは知る人ぞ知るラーメン屋さん。醤油ラーメンがおススメ。スープはさっぱりしているのに、コクがある。何杯でも食べられるラーメン。チャーシューにスープが馴染んだ時、とてつもないハーモニーが生まれる。今は創始者のおばあちゃんから2代目の奥さん。昔から変わらない味。幅広く愛されるお店〉

 原発事故前、地域情報サイトでこう紹介された双葉駅前の「大幸食堂」。すでに解体が終わって跡形もなく更地になった。

 駅前の道を進むと、和洋食と喫茶の「キッチンたかさき」の建物がある。欧風の街灯が載ったおしゃれな看板が残るが、2代目店主は新天地で再出発をした。

〈家族と避難生活を送っている時に「強く生きていかなければ」と思いました。幼い頃から、将来は親が営む「キッチンたかさき」を継ぐという目標をベースに生活してきたのですが、震災から約3年半を経て2014年10月7日、三軒茶屋に2号店を構えることにいたしました〉(「株式会社キッチンたかさき(JOE'SMAN2号)の採用・求人」ページより)。

 やがて交差点で旧国道とぶつかり、北が長塚商店街、南が新山商店街。

 新春に江戸時代から続く祭り「ダルマ市」が催された。露店が約80も並んだ通りで縁起物のだるまが売られ、神楽舞い、だるま神輿や女宝財踊り、特設舞台の演奏や踊り、呼び物の巨大だるま引き合い合戦で沸いたという。

 200人の町民が南と北に分かれて高さ約4メートルのだるまを引き、南が勝てば商売繁盛、北が勝てば豊年満作といわれた。原発事故後はいわき市の仮設住宅に会場が移され、離散した町民の「同窓会」の場になったという。

 新山商店街に足を向けると、震災、原発事故から9年を経た荒廃と喪失の風景があった。              

いま被災地に住む者

 通りの入り口は解体後の広い空地になり、道路脇に雑草が伸びる。

 あるじなき商店や家の姿は無残だ。ガラス戸が割れて中が荒れ放題になり、シャッターはこじ開けられたように壊れ、家の部材が朽ちて風雨と枯れ葉が吹き込み、中をのぞくと泥棒か動物に入られたようにめちゃめちゃだ。放置された車には、植物の蔓が這う。

 農協支所の外壁にある時計は、大地震の起きた時刻――午後2時46分を指している。

 時が止まったように、ある家の棟は前のめりに傾き、別の家では玄関の太い柱が礎石から外れて宙に浮いている。ある店は屋根に1階が押しつぶされ、まっすぐに倒壊した瓦屋根の門もある。商店街にある寺の山門や庫裏も崩れ落ちている。

 表のガラス戸が壊れたおしゃれ用品の店では、往時のままに赤、ピンクなどの婦人服が天井から下がり、バッグが並んでいる。町の女性たちの幻のにぎわいが続いているようだ。閉鎖され真っ暗なミニスーパーもある。通りの外れにあった旧双葉高校の生徒たちが下校途中におやつを買い、商店街を闊歩していったそうだ。

 山根さんは、古い桜の木の前で立ち止まった。葉桜になりかけていたが、「石田医院の枝垂れ桜」の名で、町で一番咲きの桜として誰もが知っているという。

「復興支援員になったころ、避難先に訪ねた町民から『石田医院の桜がきれいだった……』と聞かされても分からなかった。原発事故の知識はあっても、町の人の思いを分かち合うことができず、『東京から来た人には分からないものね』と言われて傷ついた。自分なりに被災地支援の経験を生かして役立とうと思って来たのに、人々の置かれた状況に対して無力感が大きくなっていった」

 山根さんは2年前の10月、ローカルマガジン『おきてがみ』に書いたエッセイで、当時の苦しさをこう振り返った。

〈職場や地方生活に慣れることができなかった私は、少しずつ心を病んでいきました。診断結果は、「適応障害」と「冬季うつ」〉

 とりわけ3月11日が近づくと、被災地の人ではないのに「うつ」に悩まされたという。「3.11」報道が連日あふれる中で「あの時、自分はこの町にいなかった」と、「他者」であることの疎外感、罪悪感のようなものが押し寄せてきたからだった。   

〈でも私に、横浜に帰るという選択肢はありませんでした。だってまだ、福島に来て何も残せていない。このまま帰ったって、福島にいたことが何にもならない〉

 決意して2016年3月に派遣元の団体を辞め、福島県の任期付き職員に合格して、いわき地方振興局で3年働いた。

 その傍ら、神奈川県のボランティア時代に関わったウェブの地域ニュース『ヨコハマ経済新聞』の姉妹サイト『いわき経済新聞』の編集人兼取材者を請け負った。

「支援」ではなく、被災地で出会う人々を自らの記事で全国につなぐことを仕事にして、

「双葉町の人々とも良い距離感でつながり直せた」

 と言う。いわき市にあった生活の拠点も、双葉郡のほぼ真ん中の富岡町に移し、復興途上の町のまちづくり会社で昨年9月から働いている。もう「都会から来た人」ではなく、地元の生活者になった。

「原発事故があって、古里に帰れない人々がいること。廃墟に見えるものの意味や、そこにあった暮らし。私はいま双葉郡に住む者として語り部になることはできると思う」

コロナ禍と桜まつり中止

 双葉町から国道6号を南下すると、海側から高圧線の鉄塔の列が迫る。除染土袋の広大な仮置き場の向こうの林から高い換気塔が顔を出し、福島第1原発があると分かる。廃炉作業の赤と白のクレーンが遠く並んでいる。

 隣の大熊町にかけての丘陵部では、福島県内で排出された除染土を30年間保管する「中間貯蔵施設」(計1600ヘクタール)が稼働し、造成も続けられている。このため国道には工事車両が多くなる。

 やがて大熊町内の集落に入ると、帰還困難区域を示す銀色の格子のバリケードがどこまでも続き、家々や店、脇道を閉ざす。

「この道を、もう何百往復したか分からない」

 と山根さんは言う。

 目指したのは大熊町の南隣、富岡町の「夜の森(よのもり)公園」。2.2キロの道に沿って400本のソメイヨシノの並木があり、東北有数の桜の名所だ。原発事故前、4月の「夜の森桜まつり」は15万人の花見客でにぎわった。

 しかし富岡町の全域が避難区域になり、2017年4月1日に町中心部の避難指示が解除されたものの、原発からわずか7キロにある桜並木の大半は帰還困難区域の中だった。

 今年3月、常磐線全線再開で双葉町と同じく、最寄りのJR夜ノ森駅の周辺が「復興拠点」に指定され、公園に通じる道路が先行的に除染されて一部解除された。桜並木のうち、3年前に解除された分と合わせて計800メートルが開放され、歩けるようになった。

〈「桜を見ることができる範囲が広がり、県内外から訪れる人も増えると思う。解除が広がればにぎわいを取り戻せるだろう」〉

 という町民の話が、夜の森公園の解除拡大を伝えた3月11日の『河北新報』に載った。桜まつりは2017年春に再開されていたが、今年は常磐線による花見への誘客も期待された。ところが、同じ11日の同紙で、中止が報じられた。

〈福島県富岡町は10日、新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、4月11、12の両日に予定していた「桜まつり2020」を中止すると発表した〉

 町は6000人の来訪を見込んだという。富岡町のある福島県浜通りの感染者数は少なかったが、

〈郡山やいわきなど避難先からの送迎バス、町の帰還困難区域内を巡る観桜バスの運行もあり、不特定多数が密閉空間で長時間移動するのは難しいと判断した〉

 と、同記事は伝えた。

 その直前の3月7日、富岡町を視察した安倍首相は常磐線全面再開に触れて、

「日本全国から人がやってくるような状況をつくり上げていきたい」

 と激励したと報じられた。

 その一方で、常磐線が直結する首都圏で、政府はすでに大規模イベントの自粛要請へ舵を切っており、相矛盾する状況に、宮本皓一町長ら町の関係者は苦渋の決断をするほかなかった。

交流の町づくりに暗雲                

 国道6号から西へ、JR夜ノ森駅方面に向かう道は、帰還困難区域を示す銀色の格子のバリケードが家々の前に続く。やがてトンネルのように枝々が広がる桜並木に入るが、関所のようなバリケードが途中に現れて通行禁止になる。

 新型コロナ禍で桜まつりは中止になったが、見ごろを迎えた4月上旬の週末に、マスク着用の町民らが訪れて静かな散策をした。

 4月5日の『朝日新聞』には、避難先のいわき市から訪れたという女性の、

〈「桜は一生懸命咲いているのにかわいそう。ここまで歩けるようになったのに、来てくれる人が減ってしまって。コロナが憎い」〉

 という声が載った。

 筆者が訪れた日は、やはり葉桜になりかけの並木だったが、満開の夜の森公園の美しさを、福島第1原発事故を題材にした映画『Fukushima50』(3月6日公開)のラストシーンで知ることができた。主演の佐藤浩市さんは1月に富岡町役場に完成報告に訪れ、帰還困難区域で撮った映像について、

「桜の美しさとはかなさ、この事故を絶対に繰り返してはいけないという思いが交錯して届いてくれれば」

 と宮本町長に語ったそうだ。

 山根さんは、

「今年の桜まつりは、『Fukushima50』を観た全国の人に、原発事故を越えて咲く夜の森の桜を知ってもらい、富岡を訪ねてもらう、最高のタイミングだった。本当に残念に思う」

 と話す。

 帰還困難区域以外の避難指示が3年前に解除された後、双葉郡の他町村と同様、富岡町の復興の歩みも遅い。

 原発事故前に約1万6000人が住んだ同町は、今年3月末の住民登録が1万2539人(避難先を含む)。町が策定した「帰町計画」では、2019年度末の居住人口目標は3000~5000人とされた。しかし現実には、町外から通う人も併せた帰町者は1200人に満たない。

 山根さんら「とみおかプラス」の大きな仕事は、富岡町の情報を全国に発信し、人の集いを生み、町の交流人口を増やすことだ。

 山根さんが携わった仕事は、大学生に町を知ってもらう「インターンシップ」、「富岡魂」と銘打つ地場産米などの販売イベント、町のマスコットキャラクター商品の売り出しまで多彩だ。それらの現場の生き生きとしたニュースを「とみおかプラス」のホームページに書き、ファンづくりにつなげる発信にも取り組んだ。

 富岡町を応援してくれる人を全国から募った「とみおかアンバサダー」事業もある。富岡らしいオリジナル日本酒を山根さんらスタッフと一緒にプロデュースしたが、予期せぬコロナ禍と桜まつり中止の荒波をかぶった。

伐採されたツツジの再生               

「萌」の1文字で「きざし」と呼ぶ。2017年に稲作を再開した農業者、渡辺伸さんが収穫したコメを原料に、日本酒品評会で4度金賞を取った二本松市の「人気酒造」で醸造された純米吟醸酒だ。

 渡辺さんは稲作農家の5代目で、除染で石が露出した水田に避難先のいわき市から通って土をよみがえらせ、有機栽培にも挑戦している人だ。

 とみおかアンバサダーは、富岡町でのボランティア経験者や、復興に関わりたい若者ら15人。首都圏や関西などから集い、酒づくりに参加した。

 町を歩き、町民たちをインタビューし、蔵元から酒の講義を受け、渡辺さんの新米を味わい、山根さんらスタッフと議論を重ねた。その結果、女性に選ばれるおしゃれなイメージ、シャンパンのようなスパークリングのお酒、地元販売のみのレアなお土産になる――というコンセプトに、町民の「思い」が加えられた。

「萌」のラベルに描かれたのは、桜と並んで町の花だったツツジである。

 ツツジは原発事故前、JR夜ノ森駅構内で初夏に6000株が咲き誇り、列車が徐行運転をして乗客の目を楽しませた。町民が50年かけて育てたが、除染の犠牲となって2017年にすべて伐採された。

「萌」という名前は、苦難の時を越えて春の日を待つ富岡の花と人を意味し、

「醸造された第1弾の3500本を、アンバサダーたちが今年の桜まつりの会場で直売する予定だった」

 と山根さんは振り返る。

「萌」は町内の店舗だけで販売されたが、それでも完売の人気となった。しかし、アンバサダーたちと町民の貴重な交流の機会は流れた。以下は4月20日の『東京新聞』の記事だ。

〈語り部団体などでつくる「3・11メモリアルネットワーク」は3月25日~4月7日、伝承活動に関わる団体や個人に感染拡大の影響を尋ね、岩手、宮城、福島3県の語り部や震災学習に取り組む岐阜、愛媛両県の学校関係者ら計30の団体・個人から回答を得た。少なくとも計9235人の予約のキャンセルが発生していたことが判明した〉 

 富岡町では、NPO法人「富岡町3・11を語る会」が催す町内ツアーにも400人を超える予約キャンセルが出たが、つながりを絶やさぬようDVDを作って送付すると伝えられた。

 最後に向かったJR夜ノ森駅。2017年6月に同じ場所を取材で訪れた際には、土手に伐採直後の無残なツツジの切り株があった。しかし、この日、無人のホームに降りて息をのんだ。多くの株が樹勢をよみがえらせて葉を広げ、赤やピンク、白の花々を咲かせていた。

「萌」そのものだったのだ。

 予期せぬ新型コロナ禍は被災地に再びの苦境をもたらしたが、山根さんは言う。

「人を本当に感動させるものが、ここにはある。そんな出合いがあるから、私は浜通りの真ん中にいて、変化するこの町から発信し続けたい」

 いまだコロナ禍の混迷の中にある都会の人々も、再生の力を被災地からもらう日が来よう。

寺島英弥
ローカルジャーナリスト、尚絅学院大客員教授。1957年福島県相馬市生れ。早稲田大学法学部卒。『河北新報』で「こころの伏流水 北の祈り」(新聞協会賞)、「オリザの環」(同)などの連載に携わり、東日本大震災、福島第1原発事故を取材。フルブライト奨学生として米デューク大に留学。主著に『シビック・ジャーナリズムの挑戦 コミュニティとつながる米国の地方紙』(日本評論社)、『海よ里よ、いつの日に還る』(明石書店)『東日本大震災 何も終わらない福島の5年 飯舘・南相馬から』『福島第1原発事故7年 避難指示解除後を生きる』(同)。3.11以降、被災地で「人間」の記録を綴ったブログ「余震の中で新聞を作る」を書き続けた。ホームページ「人と人をつなぐラボ」http://terashimahideya.com/

Foresight 2020年5月16日掲載

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