江頭2:50、YouTubeで明かされる実像、人気の理由は過激なネタだけではなかった…

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知られざる一面

 トークでは江頭の知られざる一面が明かされる。秘話の連続で、これがまた面白い。

■初恋は佐賀県神埼市の高校に通っていた時。相手は同級生。ファーストキスもその人。

■高校時代の髪型は当時、流行していたリーゼント。
「軽めのヤンキー」(江頭)

■福岡県の九州産業大に進学したのは初恋の人も福岡の大学に入ったから。
「本当は大学に行く気なかった」(江頭)

■その初恋の人に振られたので、大学に通う意味がなくなり、中退。芸人になることを決意。

■芸人になっていなかったら、パンクバンドのメンバーかトラック野郎になりたかった。

■初体験は上京して芸人になった後で、相手の女性はプロ。
「(芸人になった後は)恋愛は皆無。シャイだから」(江頭)

■恋愛がなかった分、東京・中野のキャバクラに足繁く通った。
「1時間3000円だったから」(江頭)

■クリニックで薄毛の治療中。

■休日はスポーツクラブへ。
「筋肉を維持しなくちゃならないから」(江頭)

■自炊はしない。中野のスーパーでお総菜を買う。

 恋愛できなかった理由はシャイだったせいと言うが、本当に照れ屋だ。江頭の名言を検証するという動画で、江頭のものとしてネット上にある男前な言葉を本当に口にしたかどうか確かめられたところ、それだけで少女のようにはにかんでしまった。格好良い自分は恥ずかしいのだ。

 次の言葉を口にしたかどうかを確認された時も顔を赤らめた。

「目の前で悲しんでいる人を見つけたら、何としてでも笑わせたい。そのためなら警察に捕まってもいい。寿命が縮んでも構わない」

 答えは「YES」。恥ずかしそうに認めた。照れ屋である一方で、生真面目なのである。愛すべきキャラクターに違いない。これも人気の理由だろう。

 やはりネット上にこんな名言があり、実際に語ったことがあるそうだ。

「これをやったら、次回出演できなくなるんじゃないか、なんて考えないようにしている」

 道理でいつも破天荒。誰彼となく体当たりしたり、キスしたり。2001年には「笑っていいとも!」(フジテレビ)の生放送中、脚本界の重鎮・橋田壽賀子さん(94)に無理矢理キスをしてしまい、以来13年間にわたって同番組への出演がNGとなった。モーニング娘。の前で素っ裸になり、共演NGとなった時期もあった。

 コンプライアンス社会下で世間の人も芸人もスマートになる一方なのに、型破りなスタイルを守り続けている。ブレない。そんなところも共感を呼んでいるのではないか。ずっと無鉄砲、干されるのも覚悟。こんな芸人、まずいない。

 それより人を引き付ける江頭の魅力は優しさだろう。東日本大震災の発生から9日後の2011年3月20日、福島第1原発の事故によって二重苦を強いられていた福島県いわき市にトラックで入り、救援物資を届けた。トラックは運送会社から借り、ハンドルは自分で握った。

 荷台には水や紙おむつ、キッチンペーパーなどを山積みにしていた。すべて自費で買い集めた。金がなかったので、資金は消費者金融のアコムで借りた。いわき市民は涙を流して感謝した。

 この善意が世に知られ、讃えられると、「普通の芸能人はお金があるから寄附が出来るけど、俺は金がないから…」と控えめに説明。やはり照れ屋なのだ。

 そんな人柄は故郷・佐賀県でももちろん愛されており、3月3日の県議会では自民党の中村圭一議員(50)が、「江頭さんを県のアンバサダー(大使)に」と提案。理由を「体を張った芸が面白いだけでなく、彼の人柄をみんなが理解し、敬愛するようになったから」と説明した。

 事実、佐賀以外の人も江頭の素晴らしさに気づき始めているのだろう。さらなる人気拡大を狙う際にネックとなりそうなのが、決して上品とは言えないネタの数々だが、既にキャリア32年。「エガちゃんなら仕方がない」という免罪符を得ている気がする。

 江頭と同じく、長らく「嫌われ者芸人」の烙印を押されながら、五十路を過ぎるころから大ブレイクした芸人に出川哲朗(56)がいる。奇しくも江頭とは親しい。出川の人気を押し上げた最大の理由も人柄の良さだったが、江頭も続きそうな気配だ。現在、江頭はテレビのレギュラー番組が1本もないものの、YouTube界の寵児になったのだから、テレビマンも放っておかないだろう。

 ちなみに江頭は佐賀のアンバサダーの依頼が正式にあっても断るという。YouTube内で胸の内をこう明かした。

「お笑いの人間に権威を付けたら笑えなくなるよ! 俺は一番下の下の下だから、笑えるんだよ! 一番下の人間まで笑わせる事が出来るんだよ!!」(江頭)

 ファンにはシビれる言葉だろう。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
ライター、エディター。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年5月6日掲載

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