「政治家がちゃんと仕事をしていれば……」映画もヒット、今なお心に響く三島由紀夫の言葉

国内 政治 2020年3月28日掲載

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 いまだ人気は衰えず、といったところだろうか。3月20日に公開された映画「三島由紀夫vs東大全共闘」は、ドキュメンタリー映画であるにもかかわらず、興行収入ランキングでベスト10入りと快調なスタートを切っている。

 同作は、1969年5月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・三島由紀夫と東大全共闘との討論会の秘蔵映像をメインとしたドキュメンタリー。この討論会がなぜ現在にまで語り継がれる伝説的な存在なのかといえば、全共闘の面々が待ち受ける中、思想的に全く相容れない三島が単身乗り込んでいったことが理由として挙げられるだろう。当時の全共闘といえば、暴力的な破壊活動を厭わぬ危険性を帯びた集団。そこに三島は一人で乗り込んでいったのである。

 ただし、今なお多くの人が惹きつけられるのは、このアングルだけが理由ではない。三島の言葉の強さに何らかの普遍性があるからだ。それらは令和を生きる日本人にも十分刺激的である。

 三島由紀夫の名言を集めた『三島由紀夫の言葉 人間の性(さが)』から、政治や戦争、国家に関する言葉を抜粋して紹介してみよう(すべて同書から。原典は記事の最後にまとめて示す)。

「胃痛のときにはじめて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識されるはずのものではなく、まして食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、カジ屋はちゃんとカジ屋の仕事に専念していられるのである。現在、政治は民衆の胃痛になり、民衆の皮膚はアレルギーの症状を示し、異常に敏感なその皮膚は、何事もまず皮膚で感受しようとする。こういう状態こそ政治的危機である」
 ※1

「本当の現実主義者はみてくれのいい言葉などにとらわれない。たくましい現実主義者、夢想も抱かず絶望もしない立派な実際家、というような人物に私は投票したい。だれだって自分の家政を任せる人物を雇おうと思ったら、そうせずにはいられないだろう」
 ※1

「一説によると私は『危険な思想家』だそうである。名前だけきくとカッコいいようだが、そういう説をなす人の気持ちは、体制側の思想家というほどの意味で、政府御用達の思想家というほどの呼称であろう。日本における危険の中心は政府であり、どんな思想家の危険性だって、権力の危険性に及ぶ筈はなく、いわばその危険性の戯画にすぎぬであろう」
 ※2 

たとえ動機が私利私欲であっても、結果がすばらしければ政治家として許される

「政治行為は、あくまで結果責任によって評価されるから、たとえ動機が私利私欲であっても、結果がすばらしければ政治家として許される。また、動機がいかに純粋であっても、結果が見るもおそろしいものになった場合に、その責任はみずからが取らなければならない。

 現在の政治的状況は、芸術の無責任さを政治へ導入し、人生すべてがフィクションに化し、社会すべてが劇場に化し、民衆すべてがテレビの観客に化し、その上で行われることが最終的には芸術の政治化であって、真のファクトの厳粛さ、責任の厳粛さに到達しないというところにあると言えよう」
 ※3

「現代政治の特徴は何事も世論のフィルターを濾過されねばならぬことであろうが、そのフィルターにくっついた煤(すす)の煤払いをしなければ世論自体が意味をなさぬ。かくも強力なフィルターが、煤のおかげで、ひたすら被害者、被圧迫者を装って、フィルターの濾過を拒んでいるような状況は、不健全であるのみならず、フィルターの権威を落すものであると考えられる」
 ※4

「もともと戦争が美化されたのは、それを醜いと知っていても、戦争が必要だったから、美化せざるをえなかった点もあるでしょう。今では戦争は必要でないから、美化されるおそれがないかといえば、ろうそくの必要がなくなっても、われわれはろうそくの光りでディナーをとることを好むのです」
 ※5

「オリンピックがすんで、虚脱状態に陥った人はずいぶん多い。

 考えてみれば、日本が世界の近代史へ乗り出してからほぼ100年、たびたびの提灯行列はあり、いわゆる国民的昂奮は、戦争に際して何度か味わったわけだが、こんなにひたすら平和な、しかも思いっきり贅沢に金をかけたお祭が、2週間もつづいたことはかつてなかった。しかもそれは『安全な戦争』『血の流れない戦争』『きれいな戦争』の要素を持っていて、みんなが安心して『戦争』をたのしみ、『日本の勝利』をたのしむことができた」
 ※6 

「あの戦争についての書物は沢山書かれているが、証人は次第に減り、しかも特異な体験だけが耳目に触れるから、今の若い人たちは戦時中の生活について、暗い固定観念の虜(とりこ)になりがちである。そこにも平凡な人間の生活があり、平凡な悲喜哀歓があり、日常性があり、静けさがあり、夢さえあったということは忘られがちである。たとえば私がクラヴサンの音色を、戦争中の演奏会におけるほど美しく聴いたことは、後にも先にもないのである」
 ※7 

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」
 ※8

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※1「一つの政治的意見」 「毎日新聞」1960年6月25日
※2「危険な芸術家」 「文学界」1966年2月
※3「若きサムライのための精神講話」 「PocketパンチOh!」1969年5月
※4「フィルターのすす払い――日本文化会議発足に寄せて」 「読売新聞」夕刊1968年6月18日
※5「反貞女大学」 「産経新聞」1965年2月7日~12月19日
※6「秋冬随筆」 「こうさい」1964年10月~1965年3月
※7「序(東(あずま)文彦作品集)」 「東文彦作品集」1971年3月
※8 「果たし得ていない約束――私の中の二十五年」 「サンケイ」夕刊1970年7月7日

デイリー新潮編集部