感染急増の中南米で深まる「分断」「格差」

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 中南米は、握手はもとよりハグや頬キスなどで頻繁に友情や親愛の情を確認し合うことを日常とする文化圏である。親しい者同士が、「抱擁(abrazo)」という単語をメールの結びに使う文化だ。そうした地域で、感染を防ぐために社会的距離をとるのが最も効果的と言われるのは、辛いものがある。

 新型コロナウイルスの感染拡大は、彼らから日常を奪い、儀礼や社交のあり様にも影響を及ぼすことになる。

 各国はウイルスの侵入に身構えている。経済的な打撃も含め、中南米社会が被る影響は計り知れない。

急速に増えている感染者数

 当初は、感染源となった中国、アジアから遠く離れ、夏季であるという原因からか、しばらく中南米は感染の空白地域であった。だが、2月26日にブラジルで最初に確認され、メキシコがこれに続き、3月に入ると感染は地域全体に拡大。今月2週目にはほぼ全ての国で感染者が確認された。

 その多くが、イタリアやスペインなどヨーロッパ経由での感染だ。感染者数は急速に増え続けており、米州保健機構(PAHO)によれば、3月16日午前10時現在で、ブラジルの84人を最高に全体で722人となっている。

 感染者数は相対的に少ないものの、各国政府は、世界保健機関(WHO)の「パンデミック」宣言を機に非常事態を宣言。感染地域からの国際線の乗り入れや入国の制限、国境封鎖、学校の休校、一定規模以上の集会の禁止など、早くから厳戒態勢で臨んでいる。

医療・防疫体制それ自体に不安がある

 他地域での感染防止の教訓をどう活かせるかが課題であるが、中南米諸国の医療体制が脆弱なため、ウイルスの拡大を抑えることができるか、不安や恐れが高まっていることも事実だ。

 中南米は、公的支出における保健医療費の比率がGDP比2.4%(国連中南米カリブ経済委員会)と低い地域であり、目標とすべき6%の半分にも満たない。医療・防疫体制それ自体に不安があるからである。

 エクアドルは37人の感染者を確認し、死者が2人。アルゼンチンも感染者56名に死者2名で、全体的に死亡率が比較的高いのも特徴だ。 

 今後、季節が夏から冬に変わることも、懸念材料の1つである。

 また、貧困層居住地、大幅に収容人数を超え劣悪な状況にある刑務所、大規模な集会を伴うキリスト教福音派の教会などにおいて、拡大する恐れがある。

 国民の不安は、質の悪い公的な医療サービスに対する彼らの現状認識を反映するもので、パニックや感染者に対する差別を引き起こしやすい土壌となっている。

 公的な医療サービスに対する不満は、多くの国で反政府抗議活動の原因にもなってきた。公的医療機関は、多くの患者を抱え、長い時間待たされたあげく、質にも問題があり、広く不満が蓄積しているのだ。

 富裕層はもとより上位中間層は、医療保険を払っていても公的医療機関を避け、高額の医療費を払ってでも質の高い民間の病院を選択するのが普通である。

 2019年末に起きたチリやコロンビアなどでの社会抗議の連鎖において、階層間の不平等をめぐる問題が顕在化した。当面は集会の禁止など感染防止策が抗議活動を抑える効果となるであろうが、新型ウイルスへの対応を機に、保健医療を通じて改めて格差の問題がクローズアップされる可能性がある。

ベネズエラの体制維持にも支障

 医療が崩壊しているベネズエラでも3月13日、初めての感染者の確認(2名)が公表された。17日には政府発表で33人となった。

 政府は早速、欧州やコロンビアからの入国を制限する措置をとったが、薬品や資材など医療物資が絶対的に不足して久しい中で、予防は難しく、蔓延する恐れが出てきている。

 米国による石油部門に対する制裁に加え、石油価格の急落も相まって、経済の生命線である石油収入の減少が防疫体制にも影を落とす。ウイルスの感染が拡大すれば、体制維持にも支障が出かねない。

 すでに中国からの支援が指摘されており、地域では例外的に医療体制が整ったキューバ政府からも支援がなされるであろう。中国やキューバによるニコラス・マドゥロ体制へのテコ入れが一層強化される可能性がある。

(なお、18日付日本経済新聞電子版によれば、ベネズエラ政府が17日国際通貨基金⦅IMF⦆に54億ドルの支援を要請した。新型コロナウイルスの蔓延拡大を自力では防げないとの判断から、敵対してきたIMFや米国に泣きつかざるを得ないと言うことであろう)

 経済の破綻に伴い、すでにベネズエラから周辺諸国に流れている避難民は500万人とも推定されている。受け入れ国においては、排斥などの社会的軋轢も生じている。

 各国とも厳しい医療環境の中で、ベネズエラ難民に新型ウイルスの検査や治療などの医療サービスを施すことをめぐっても、問題が生ずることになろう。

 またベネズエラのみならず、中米北部諸国から北上する難民についても、ウイルスの侵入防止を口実に、受け入れが制限されることが考えられる。

成長率の下方修正は避けられない

 新型コロナウイルスの経済への影響も甚大である。

 2014年、中国経済の減速や米国の量的緩和の縮小を背景に資源価格が下落して、いわゆる「資源ブーム」(2003~13年)が終焉した。以降、中南米諸国は1人当たりのGDP成長率で、年平均でマイナスに沈み、2010年代全体を通じても「失われた10年」となった。

 米中貿易戦争の影響もあり、昨年はGDP成長率0.1%(国連中南米カリブ経済委員会)とほぼゼロ成長に落ち込み、3%成長という世界経済の平均はもとより、近年はサブサハラ(サハラ砂漠以南のアフリカ地域)などの新興地域からも大きく水を空けられている。

 2020年は1.3%成長(同上)と回復が見込まれたが、このまさに最悪のタイミングで新型コロナウイルスによる経済危機が発生。成長率が大幅に下方修正されることは避けられない。

 特に過去20年で中国が最大の貿易相手国となり、中国依存が増加したブラジル(鉄鋼と大豆など農産品)、チリ(銅)、ペルー(銅、非鉄)を中心に、その影響は甚大だ。

 銅や石油価格などの資源価格の低下に加え、中国経済の急減速が各国の輸出を直撃する。とくに2019年末の抗議行動で成長率が大幅に減少したチリ経済は、対中輸出額がGDPの8%近くに達しており、影響は大きい。

 国家財政を石油収入に依存するエクアドルでは、国際通貨基金(IMF)の支援の下で経済再建を進めてきたが、ガソリン価格への補助金の撤廃で暴動が発生し、その撤回を余儀なくされ、苦境に立たされた。

 そして今度は頼りの石油収入が石油価格の下落によって減少。なおかつドル化政策をとるため、通貨安に直面する周辺国との間で、競争力において不利な立場に立たされている。

 メキシコは、北米自由貿易協定(NAFTA)に代わる米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)を、最後に残っていたカナダが批准し、発効が待たれる。

 中国から北米へ生産拠点を移転する好機として米中貿易戦争を利用できるとも言えるが、短期的にはむしろ米国での感染拡大により、北米市場の経済の落ち込みが予想される。カリブ海のクルーズ産業の停止や人の移動の制限で、観光業への影響が大きい。

 世界同時株安の影響は、ブラジル・サンパウロ証券取引所の「ボベスパ」をはじめ、コロンビアなど主要国の株式市場も襲った。売買が中断される異常事態を引き起こし、各国で対ドル通貨安を招いている。

 政治不安に直面してきた各国政府は、それに加えて経済の落ち込みがさらに予想される中で、いかに効果的な防疫体制をとりながら、国民を冷静かつ規律をもって導き、この苦境を乗り切ることができるか、大きな試練に立たされている。

 この未曾有の危機は、中南米諸国の政治を苛んできた分断や格差をより深める恐れもあるが、一方で、これを鎮め、連帯を強める好機でもあろう。

遅野井茂雄
筑波大学名誉教授。1952年松本市生れ。東京外国語大学卒。筑波大学大学院修士課程修了後、アジア経済研究所入所。ペルー問題研究所客員研究員、在ペルー日本国大使館1等書記官、アジア経済研究所主任調査研究員、南山大学教授を経て、2003年より筑波大学大学院教授、人文社会系長、2018年4月より現職。専門はラテンアメリカ政治・国際関係。主著に『試練のフジモリ大統領―現代ペルー危機をどう捉えるか』(日本放送出版協会、共著)、『現代ペルーとフジモリ政権 (アジアを見る眼)』(アジア経済研究所)、『ラテンアメリカ世界を生きる』(新評論、共著)、『21世紀ラテンアメリカの左派政権:虚像と実像』(アジア経済研究所、編著)、『現代アンデス諸国の政治変動』(明石書店、共著)など。

Foresight 2020年3月18日掲載

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