イラン司令官殺害は「戦争の霧」という「大統領選」の「闇」

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「戦争の霧」(Fog of War)とは、不確かな情報を基に軍司令官が短時間で決断を迫られ、誤った攻撃を始める落し穴にはまる戦争の実相を表現したものだ。

 ドナルド・トランプ米大統領はこの「戦争の霧」に陥ったのか、それとも「霧」を口実にうまく目的を成し遂げたのか。そんな思いを抱かせる情報が飛び込んできた。

 1月3日のイラン革命防衛隊のガセム・ソレイマニ司令官殺害攻撃は、米国とイランが戦争に突入するのではないか、と世界を震撼させたことは記憶に新しい。

 だが、その発端となった昨年12月27日のイラクにある米軍駐留基地への攻撃を行ったのは、米国が断定するイラン系シーア派組織「カタイブ・ヒズボラ」(KH)ではなく、イランと敵対するスンニ派過激派組織「イスラム国」(IS)だった可能性がここにきて浮上しているというのだ。

 そんなことがあるのか、と驚かざるを得ない。米国は「敵」を間違え、報復したというのか。

キルクークにイラン系は足を踏み入れない

 時系列で見てみよう。

 ソレイマニ司令官殺害にエスカレートした事態は、まず12月27日に、イラクにある「K1」と呼ばれるキルクークの米軍駐留基地が攻撃され、米国人軍属1人が死亡したことから始まった。

 昨年6月にイランによって米無人偵察機が撃墜され、9月にはサウジアラビアの石油施設への攻撃で大被害が出ても、トランプ大統領は米国人が犠牲にならなかったことを理由に、反撃を控えた。

 だが、K1への攻撃で米国人が死亡したことで、米国はこの攻撃主体をKHと断定し、2日後の同月29日にKHの5カ所の拠点を攻撃し、同組織の25人を殺害した。

 これに怒ったKH関係者らシーア派の群衆が同月31日にバグダッドの米大使館を襲撃。その映像を見て激怒したトランプ大統領が、側近から提案された中でも「最も極端な」ソレイマニ司令官殺害を命じ、1月3日にバグダッド国際空港で実行に踏み切ったという、報復の連鎖が起きたわけだ。

 しかし、2月6日の『ニューヨーク・タイムズ』は、発端となった12月27日の攻撃はシーア派のKHでなくスンニ派のISである、という複数のイラク軍幹部の実名証言を報じたのである。

 イラク軍幹部らの証言は、攻撃のあったイラク北部キルクークはスンニ派の勢力圏であり、シーア派は2014年を最後に足を踏み入れていないこと、またISが12月27日の攻撃直前の10日間だけで3回K1を攻撃していたという事実を根拠にしている。イラク軍はこの3回の攻撃を受けて米軍にISの再攻撃を警戒するよう、27日の当日も呼びかけていたという。

 実際27日の攻撃は、ISの拠点から約300メートルのところで、小型トラックを使用して行われており、イラク軍幹部は「シーア派はこんなところに来られない」と語っている。

 ちなみにKHは27日のK1への攻撃を否定する声明を発表している。KHはキルクークには2014年に80日間進撃しただけで、その後は入れていないという。

証拠を明らかにしない米軍

 イラク軍幹部の証言はどれも状況証拠であり、決定的なものではないが、事実とすれば、KHもイランも無関係となる。トランプ大統領が、米軍幹部が仰天する中で命じたソレイマニ司令官殺害は、起こす必要がない軍事作戦だったことになる。

 付け加えれば、イランは1月8日、司令官殺害の報復としてイラクの米軍拠点2カ所を短距離弾道ミサイルで攻撃。さらに、接近する米軍の巡航ミサイルと見誤り、テヘランを離陸したウクライナ航空旅客機を撃墜してしまった。

 乗員乗客176人が死亡したこの悲劇も、米国がそもそもK1攻撃をISの行為とみなしていれば、起こらなかったことになる。

 もちろん、米軍はイラク軍の説明を否定している。K1には十数発のロケット弾が撃ち込まれたが、ISはこうした攻撃能力を持ち合わせておらず、また通信傍受からもKHの攻撃であることは明らかだと、当局者は説明する。

 だが、傍受した通信の内容は伏せられたままだし、ISがなぜロケット弾攻撃ができないのかの説明もない。イラク軍も、米軍はKH犯行説の証拠を明らかにしない、と不満である。

 他の米大手メディアは後追いしていないし、トランプ大統領を常に批判する民主党議員たちも騒いでいない。状況証拠だけにイラク軍の証言を鵜呑みにはできないから、判断を保留しているのだろう。

 イランの影響が強いイラクは、ソレイマニ司令官殺害を受けて米軍の撤退を要求しているほどだから、イラク軍がISの仕業とでっち上げる情報作戦に出たのかもしれない。

戦争報道のベテラン

 ただ、この記事を書いた『ニューヨーク・タイムズ』のアリッサ・ルービン・バグダッド支局長は、アフガニスタン報道でピュリツァー賞を受賞し、中東やバルカンなど戦争報道のベテランだ。

 彼女はISの動向も詳細に報じてきた。イラクの偽情報に引っかかる素人記者ではない。記事も、イラク軍幹部の証言を紹介する形で冷静に書かれている。

 実際にISがキルクークなどで2019年12月に活動を活発化させており、米軍拠点への攻撃を増やしていたことは、イラクをウォッチしている米団体も報告している。情報がはっきりしないことから、日本の中東専門家の中にもK1攻撃の主体をKHと断定しない人が多い。

『ニューヨーク・タイムズ』ほど冷静な書き方ではないが、K1攻撃をKHの仕業と断定するトランプ政権に疑義をはさむのが、孤立主義で知られる政治家パット・ブキャナン氏が創設した「アメリカの保守」である。

 ソレイマニ司令官殺害の直後から、K1の攻撃主体を解明しないまま、米国がKH攻撃に踏み切り、ソレイマニ司令官の殺害にまでエスカレートさせたのは、マイク・ポンペオ国務長官らイランとの全面戦争を望む勢力の策略である、との見方をサイトで伝えているのだ。

 さて、トランプ大統領にはこの頃、司令官殺害で得る利益がいろいろあった。戦争にならない範囲でイランを叩きその挑発を抑止することもそうだが、大統領選再選に向けて強さをアピールして支持率を上げる狙いも否定できない。実際トランプ氏は、バラク・オバマ大統領(当時)が再選選挙に臨んでいた2012年に、

「オバマはイランを攻撃する。そうすることで支持率を上げて再選を勝ち取るのだろう」

 と語ったことがある。

 ちょうど下院から弾劾訴追を受けたばかりだったから、ハリウッド映画『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ』のように、スキャンダルから国民の目をそらす狙いという見方も浮上している。

開戦ありき、その理由を探す

「戦争の霧」とはプロイセンの戦略家カール・フォン・クラウゼヴィッツがナポレオン戦争を描いた古典『戦争論』で使った。確かに戦争は往々にして事実がはっきりしない「霧」の中で起こるものだ。というか「霧」を口実に、攻撃の口火を切ると言うべきだろうか。

 中東で有名なのは、1982年にイスラエルが始めたレバノン戦争だ。駐英イスラエル大使暗殺未遂をパレスチナ解放機構(PLO)の犯行と断定して、イスラエルはPLOの拠点があったレバノンに侵攻したが、実は大使暗殺未遂はPLOと対立するテロ組織の犯行だった。

 だがイスラエルの政府高官らは、

「大使暗殺未遂が誰の犯行であっても構わない。PLOをつぶす必要があった」

 と回顧したことが伝えられている。

 またイラク戦争(2003年)で米国は、イラクが大量破壊兵器を保有しアルカイダと関係があるとみたが、両方とも見当外れだった。

 むしろ2004年の大統領選を前に、ジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)は手柄としてイラクのサダム・フセイン体制を潰そうとしたのであり、大量破壊兵器問題はそのための口実の性格が強かった、との憶測が根深く残る。

 時代を遡れば、事実の確認がないまま米軍がベトナム戦争に本格介入した1964年のトンキン湾事件にも思いいたる。当時の国防長官のロバート・マクナマラのインタビューを主なテーマとした映画のタイトルは、ずばり『フォッグ・オブ・ウォー』である。さらに遡れば、満州事変での攻撃の自作自演など、「戦争の霧」というより、はるかに悪質な開戦理由も多々ある。

 果たしてK1攻撃は誰が行ったのかを、特定する材料はない。だが、米国の対外武力行使と大統領選が結びつく時の、何とも恐ろしい闇が感じられるのである。

杉田弘毅
共同通信社特別編集委員。1957年生まれ。一橋大学法学部を卒業後、共同通信社に入社。テヘラン支局長、ワシントン特派員、ワシントン支局長、編集委員室長、論説委員長などを経て現職。安倍ジャーナリスト・フェローシップ選考委員、東京-北京フォーラム実行委員、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科講師なども務める。著書に『検証 非核の選択』(岩波書店)、『アメリカはなぜ変われるのか』(ちくま新書)、『入門 トランプ政権』(共同通信社)、『「ポスト・グローバル時代」の地政学』(新潮選書)など。

Foresight 2020年3月9日掲載

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